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つれづれTiru's Life

ことば、メディア、教育、哲学などなど「教養」に興味・関心がある学生が徒然なるままに綴っています。

【自己責任分析1】あれから1年-イスラム国日本人人質事件を振り返る

学問 学問-人文科学 学問-人文科学-言語学
ジャーナリストの後藤健二さんがイスラム国にて人質となってから一年が経ちました。
僕はこの事件がきっかけである意味、人生の進路が変わったのでとても思い入れがある出来事です。
皆さんはこの事件が起きた時、そして様々な報道や情報を見た時にどのように感じられたでしょうか?
 

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「正しさ」への問い

実は僕はこの事件に焦点を当てた論文を執筆していました。
 
と言っても、大学3年生にて卒業論文の練習としての意味合いを持つ「独立論文」というものです。
これは僕が所属する筑波大学の国際総合学類というところでのみ採用されている制度です。
 
ですから、これが初めて取り組んだ論文でした。
 
タイトルは、
『日本における「自己責任」概念の考察 ISIL日本人人質事件におけるブログコメントを手掛かりとして』
というものです。
 
テーマは「自己責任」
この事件が起きた時、ネット上などでまたしても「自己責任論」が巻き起こりました。
 
「自己責任論」とは、人質となった後藤健二さんと湯川遥菜さんら二人は自ら危険地域であるシリアに出向き人質となったのだから彼らには「自己責任」があるというものです。
 
この言葉は様々な文脈で使われており一概に一つの見方があるというわけではありませんが、おおよそ彼らの「自己責任」を問う議論が「自己責任論」というものです。
 
様々な論争が巻き起こり、人質となった二人に対する不確かな憶測や非難の声があちこちでなされました。
 
もちろん、そうした非難を呼びかける声だけでなく、「なんとか助かってほしい」や「帰ってきてその体験を語るべきだ」などといった、あからさまな非難ばかりではありませんでしたが、そうした声は少数派だったように思われます。
 
この事件は、人質二人が殺害されるという結果で幕を閉じました。
 
そんな事件が起こったのがこの記事を書いているちょうど一年ほど前です。
 
そして、今日僕はこの事件に関する論文を書き終えました。
 
ハッキリと言いますと、知識や論理性、客観性といった側面でまだまだ実力不足だと感じております。
 
ですが、僕はこの論文の中心テーマである「自己責任」について卒業論文、また修士論文(今のところ大学院への進学を考えています。もちろん、将来どうなるかは分かりませんが。)にて継続し執筆するつもりでいます。
 
今回はその区切りとして、僕がこの論文に取り組んできた過程、内容、そして結果をこのブログで公開します。
 
公開することでフィードバックを頂ける可能性があること、自分自身の整理のためになるといったことから書き残しておきます。

『日本における「自己責任」概念の考察 ISIL日本人人質事件』概要

論文の目次と概要をまずは紹介します。
論文の目次

 

1 はじめに

 1.1 問題意識

 1.2 ISIL日本人人質事件概要

2 研究方法

 2.1 Critical Discourse Analysis

 2.2 Norman faircloughのCDA

 2.3 CDAとしての本研究の立ち位置

3 概念定義

 3.1 朝日新聞における「自己責任」使用語数の変遷

 3.2 日本における「自己責任論」

4 データ・資料分析

 4.1 デヴィ夫人ブログ「大それたことをした湯川さんと後藤記者」

 4.2 ブログ記事コメントの分類

 4.3 批判的分析

5 「自己責任」概念の考察

 5.1 「覚悟」と「自己責任」

 5.2 「自己責任」の二重名詞化と多義語化

 

ブログ版の記事はこちらにてまとめて紹介しています!

 

論文の概要

「自己責任」という言葉はどのようにして使われている言葉であるのかを、特に2014年10月から2015年1月にかけて起きたISIL日本人人質事件に焦点を当てて考察します

 

研究方法は「批判的談話分析(Critical Discourse Analysis)」というもので、この分野で著名なうちの一人であるNorman Faircloughの提唱する「ことば」は社会的文化的背景を表すという考え方にそって分析します。

 

分析対象はFacebookに2万件以上シェアされ、かつブログ内コメント数が860件にも達したデヴィ夫人オフィシャルブログ「独断と偏見」の「大それたことをした湯川さんと後藤記者」です。

 

「自己責任」を批判的に分析しはしますが、単純に「自己責任」を否定するのではなく、あくまでどのように用いられていたのか等を分析し、その意味するものを考察します

最後に

これはあくまでも論文なのでこれからブログで書くことは全て同じではないですが、おおよそこのような内容で書き記しています。

 

内容を書くにあたって、いろいろと前提として説明しなければならないことがあるので、少し寄り道しながらではありますがお付き合い頂ければ幸いです

 

今回はこれにて!

 

では!

 

 

【自己責任分析】