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TureTiru Times

つれづれ「ちる」ままに日常や学問、ライフハックについて書き綴るブログ

【自己責任分析3】自己責任論の何が問題なのか?

学問 学問-人文科学 学問-人文科学-言語学

自己責任分析3記事目。今回は「自己責任」という言葉にどのような問題があるのかがテーマです。

 

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「責任」ってそもそも何??

 

1回目と2回目のまとめ

1回目の記事では僕がどのようにISIL日本人人質事件*1における「自己責任論」分析に取り組んだかについて紹介しています。

 

 

二回目ではどのような背景のもと事件が起きていったのかをまとめています。

 

「自己責任」が変だと思う4つの理由

「自己責任」を批判的に論じていくに当たり、僕自身がなぜ批判的に論じていくのかを語らなければいけません*2

 

僕が抱いた問題意識は大きく4つあります。

 

tiruの問題意識

1.  「責任」が何を指しているのかそもそもよく分からない。

2.  なんでよく分からない「責任」に「自己」を付けているのか?

3.  「自己責任」が言説として力を持っている。

4.  ただの「非難」として使われている場合がある。

 

一つずつ解説していきます。

「責任」が何を指しているのかそもそもよく分からない。

「責任」って正直、突き詰めてみるとなんだかよく分かりません

 

例えば、「罪を犯した人には責任がある。」という文を考えてみましょう。

この場合どのような罪を犯したは明確ではありませんがとりあえずそこは省いて考えます。

 

仮に犯した罪に対して何らかの罪が決められているとして、それを刑期や賠償金を払うなどすればその人の「責任」は果たされるのでしょうか

 

ですが、実際に被害を被った人がこのように言ったとします。

 

「お前がいくら罪を償おうと私はお前が奪った『もの』を取り返さない限り許しはしない。それを取り返すのがお前の『責任』だ。」

 

この場合のその人の「責任」とはいくら刑罰などを受けたとしても果たせていないということなのでしょうか

 

たとえそういったものを取り返したとしても、実際に奪ってしまったもの、時間などは厳密に言えば完璧に取り戻せるものではありません。

 

だとしたら、「責任」とは被害者が許さない限りいつまでも持ち続けなければいけないものなのでしょうか

 

つまり、「責任」の如何とは当事者である被害者が決めることができるのか?ということです。

 

刑罰などにより定められているものも所詮は規則で定められたものです*3

 

このようにして、いったい何を持って「責任」だと言えるのかということは突き詰めると如何に曖昧なものかということが分かるかと思います。

 

ちなみにこうした「責任とは何か」についてはこの本が面白いです。

 

責任という虚構

責任という虚構

 

なんでよく分からない「責任」に「自己」を付けているのか?

1.で述べたようにそもそも「責任」というよく分からない言葉にどうして「自己」という言葉をわざわざ付けるのでしょうか

 

「自己責任」とすることでその意味が明確になっているかというとそうでもないのです。

 

この言葉は今回の事件のような極めて特殊な事例以外にも様々な形で用いられています。

 

ざっと挙げてみると、

 

生活保障

社会福祉

健康管理

進路選択

リスクマネジメント   etc.

 

このようにいろんな文脈で使われています。

 

本当はこういったものも含めて分析していきたいとこなのですが、今回は時間的制約上「ISIL日本人人質事件」に焦点を当てています

その方が分かりやすいですしね。

 

どうして「自己」を付けているのに具体的じゃないと言えるのかも語れるんですが、長くなってしまうのでまた別のとこで触れたいと思います。

「自己責任」が言説として力を持っている。

この「言説」という言葉がこの分析におけるキーワードの一つです。

 

この「言説」とは何かと話すと、突き詰めればそれだけで論文を書けてしまえるくらいのものです*4

 

論者によってもその定義にバラつきがあり、一概に定義することは困難ですが僕なりの捉え方を簡単に紹介します。

 

「言説」を簡単に説明するなら「社会的にパワーを持ったことば」です

 

「社会的」とは、大小を問わない一部のグループなどのことを指します。

つまり、ある集団によって共有されている考え方を端的に「ことば」として表現されたものが言説です

 

言説の代表的なものに今回の「自己責任」に加えて最近では「意識高い系」や「グローバル人材」などがあるのでないかと睨んでいます。

 

他にもLGBTやかつては女性に対して社会的立場が低いことを様々なテキストなどを通して蔑まされてきたのも一種の言説です。

 

おまけ:「言説」の起源

この概念の元をたどればミシェル・フーコーというフランスの哲学者に行き着きます。

フーコーは20世紀前半の哲学者であり、同性愛者でもありました。

ですから、社会的・文化的になされる同性愛に対する様々な抑圧に苦悩したんですね。

そうした自らの経験から思索を深め、「知識」と「権力」に対する抑圧を跳ね除けていくために彼の哲学を展開していきます。

 

「言説」に関してはまたいづれ突き詰めて言及していきます。

ただの「非難」として使われている場合がある。

この「自己責任」って言葉はここまで挙げてきたようにいろんな場面で使えてなかなかの便利ワードなんですよね。

 

言おうと思えば全部「自己責任」って言えちゃいます

 

「ふーん、失敗したんだ。でも、自己責任だよね。」

「食っていけなくなったのはあなたの自己責任でしょ?」

「ホームレスになったとしてもそれはあなたの自己責任。」

 

こんなとこでしょうか。

確かにこの主張は部分的に正しいです。

 

「仮に自己責任じゃないとしたら、じゃあ責任は誰が取るんだよ。」

 

みたいなことをよく言われます。

 

まず、「その責任が誰が取るんだよ。」の「責任」が何を意味しているのかよく聞いてみないと分からないのですが、基本的に僕は「責任」というものは非常に限定されて存在する考え方だと思っています

 

まだきちんと語っていないのですがこの記事にて部分的に触れているので気になる方は参考に見て頂ければと思います*5

 

 

こうした僕が考える前提や「自己責任」が使われているテキストを分析していくと、この言葉は「自己責任≒自業自得」として用いられつつあることが分かります。

 

下が「自己責任≒自業自得」に分類しているコメント例*6です。

 

コメント例1

本当にその通りだと思います。こうなったのも自己責任であり自業自得です。後藤さんの妻がコメントしてましたが、まずは謝罪が先なのに要求ばかりで本当自分勝手な人達ばかりなんだと腹が立ちました。

 

コメント例2

100%自己責任の何者でもないですね。

こんな自分勝手な日本人のためにどれだけ

多くの国益を損なっているか考えてみてください。

子供のような浅ましい(子供以下)意見が

日本を滅ぼします。

 

もちろんどのように使われているかはケースバイケースです。

ですので、「自己責任≒自業自得」として使われている場合があるとしました。

自己責任分析を行う上での目標

この分析を行う上での最大の目標は「自己責任」概念を再考することにあります。

 

分析の目標

そもそも「自己責任」とはなんなのか?

どのような背景のもと生まれた言葉か?

発言者は何を意図しているのか?

ISIL日本人人質事件ではどの程度この言葉が用いられたのか?

またなぜ広く用いられたのか?

 

などがこの分析を行う主な目標ですね。

 

全てを論理的に明らかに出来たとは思っていませんが、この事件における「自己責任」を考える上で一つの指標となる分析は出来たと思います。

 

もちろんまだまだ浅いとこもあると自覚していますが…

 

最終的にはただ非難の言葉として使われるのではなく、本来の「自己責任」を捉えなおし開かれた議論にしていくことが僕の目標です

 

しかし、こうしたことを説明するにはまだまだ分析や知識的な面でも甘いので控えておこうかと思います

 

次回からは研究方法として採用させてもらった批判的談話分析の概要と分析者である僕の立ち位置などについて述べていきたいと思います。

その後は「自己責任」の概念定義、実際に「デヴィ夫人ブログ」の分析、考察などと続く予定です。

 

では!

 

 

【自己責任分析】

 

*1:タイトルだけイスラム国にしています

*2:理由①何が問題かが分からないから②批判するのに論者の社会的立ち位置を明確にする必要があるから etc.

*3:こうした疑問は「法源」という概念にぶち当たりますが直接的に関係ないのでスルーします。というかまだきちんと語れるほど勉強してません。

*4:イデオロギーとか知識社会学とかに関連してきてまたその概念もややこしくいろいろな批判があり、僕は面白いなと思っていますがなかなかめんどくさいです

*5:と言っても、これに関しては深夜と酒の勢いで書き綴ったものなのであまりきちんとしたことを書けているわけではないです。

*6:デヴィ夫人オフィシャルブログ「独断と偏見」の「大それたことをした湯川さんと後藤記者」