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読書の切れ端

西部邁『昔、言葉は思想であった』で語られる「権利」の語源とそこに潜む人間性の問題点

投稿日:2016年5月2日 更新日:

すごい気に入っている本の一つ、『昔、言葉は思想であった-語源からみた現代』。

ある言葉の語源や哲学的に考えるとどうなのかということを知りたいときに、レファレンス的に使わせてもらっています。

今回は前回の記事で取り上げた「権利」についてどのように書いてあるかご紹介いたしましょう!

としちるの近況-やっぱ哲学は最高!

ども!言語学を学びつつもやっぱり哲学好きだなと思うとしちる@ture_tiru)です。

僕の専門は「批判的談話分析」というものになりそうなんですけど、この分野は哲学・社会学・心理学に言語学と本当に広範な範囲におよぶもので勉強してて楽しいんですけど、難しいんですよねホント*1

先日、この本の1周目をやっとこさ読み終えました。

で、すごいスッキリして3日かけてこっちの本も一気に読みました。

「哲学」をかいつまみながら勉強してたので体系的に頭に入ってきて、これまでの知識と繋がってきてもうまさに「アハ体験!」状態で楽しいことこの上なしですはい。

『昔、言葉は思想であった』で語られる「権利」

この本はすごく面白いんですけど、書き方はいわゆる哲学者の本でやや難解です。

僕なりに少しかみ砕きながら、「権利」ということばはどのような語源を持っていたのかご紹介してみたいと思います!

と言いながら、よくわかっていない箇所もありますが練習ということで()

まず、日本語でいう「権利」と英語の「right」は異なる意味合いを持つことが説明されます。

 「権」は「分銅用の木」であり、物事の軽重を「量る」ことであり、それゆえに「支配する」ことです。「利」の元の意味は「耕す」ことであり、さらに収穫の「利益」をさします。今では、「権利」は法律もしくは習律によって「為すことを許されている自由の可能性」ということになりましょう。「ライト」という英語も独語の「レヒト」(richtig)もそういう意味です。

しかし、「ライト」が形容詞で「正しい」という意味だということも銘記しておかなければなりません。<続く>

引用:『昔、言葉は思想であった』、P144,145

なぜ「量る」ことが「支配すること」になるのかの論理構造がここだけでは釈然としないのですが、そこまで大きく関係しないので置いといてと。

ここでやはり問うことができるのは「為すことを許されている自由の可能性」における「自由」。前回の記事でも結局は権利とは「自由を要求することができる」ことでした*2

それも置いておくとして、「権利」と「right」では「正しさ」を強調しているかしていないかという点で違うことにここから注目していきます。*3

<続き>少なくとも近代では、「人間が切実に要求することは正しい」のであって、それを「権利として法律で確認するべきである」というルール観が成立してしまっています。その典型が「ヒューマン・ライト」(人間の権利つまり「人権」、human right)、とりわけ「ファンダメンタル・ヒューマンライト」(基本的人権、fundamental human right)です。また、基本的人権が基礎的な観念となって、法律体系が設計されてもいます。つまり、「人間の基本的な欲求は正しいのだから、それを法律で権利化するところに成立するのが正当な社会である」、とみる、それが近代的な人間観・社会観なのです。

引用:『昔、言葉は思想であった』、P145

こうやっていうのも、西部さんは今の時代を基礎的なものにしている「権利」がどこかしらおかしいと思っていることが分かります。

そこで法を行使する国家やそれを判別してきた「人間性」なるものに言及していきます。

その上でこう続きます。

 整理していうと、まず、国家の道理の枠内にあるのが「権理」です。次に、その権理にもとづいて法律が制定されると、法律によって許されている自由の可能性が「権利」だということになります。この区別が重要なのは、繰り返すと、「生まれながらの基本的人権」という発想に立って、人間の「切実な欲求はすべて権利である」とする意見と行動が広まっているからです。これは人間性礼賛としてのヒューマニズムに発するものです。また人間性の全面的な発現が社会に進歩をもたらすとみる進歩史観なのです。

前世紀を振り返っただけでも、その「戦争と革命」の世紀において、人間性の(ほとんど悪魔的といいたくなるほどの)負の部分がどれだけ露骨に、どれほど大がかりに、剥き出しにされたことでしょうか。それなのにヒューマニズムがかくも栄えていることそれ自体が、人間性の悪の顕現だと思われてなりません。

引用:『昔、言葉は思想であった』、P146,147

つまり、「権利」という言葉は人間性なるものを前提とし唱えられたものだが、実のところそんな人間性自体が「正しさ」の一種の押し付けであり、人間性はそんなきれいなものではないということと言えそうです。

今回のまとめ

やや強引にまとめてしまった感は否めません。

が、少なくとも「権利」というものは西洋から輸入された言葉でありいながらも、その中心的な意味としてあった「right(法≒正義)」が権利という言葉には含まれていないこと、またそれらを支える概念として「人間性」があったということは大筋として間違っていないと思います。

で、僕も「権利」というものがよく分からないんですよね*4

それでもっと辿って行くと、近代の法体系の礎とも言える「自然法」「社会契約」を作った「ジョン・ロック」やらなんやらという話になってきてまだそこまで手を出せずにいますが、いづれはきっちりと「法がどうして法として機能できるのか?」ということを哲学してみたいと思います

とりあえず、今回は「権利」の語源的な紹介でした~

では!

*3:権利という言葉を意味する西洋語は「権利≒法」として用いられており、そこに「正しさ」を意味する点で「権利」という言葉とは決定的に異なっているようです。

*4:人間性というものも実際はいわゆる「善」と「悪」を表現すべきものとしてあるのに、どちらかというと「悪」という面での人間性が語られないことに不満があります。


ブログ管理人
としちる

ミスチルと青い鳥が好き。大学生活前半は冊子制作に打ち込むも紆余曲折あって研究者を目指すことに。夢はアカデミーを作ること。研究の狭き道でも生きていくこととやりたいことを両立させるために、サイト運営やライティング、Webデザインといったメディア系スキル・ビジネスのイロハも学んでる。つれづれ“ちる”ままに、時に激しく主にダラダラがモットー。

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