これからの教養を考える としちるのブログ

哲学

人生に答えはないけど結局は自分のために生きたらいいって話。

投稿日:2015年12月13日 更新日:

今日の結論

問:誰のための「○○」なのか?

「自分」のために決まってるでしょ!

村の入り口近くには「WELCOME」と書かれた看板。

 

チェンマイからスコータイへの旅の記録をこちらのシリーズにて残しています。

旅の最中にとあることについて考え耽ってしまいました。

 

観光地として利用される「暮らし」への違和感

しかし、今回の旅。思ったより考えさせられました。

特に最後に訪れたこの村。

子どもがいたんですよね。

彼らにとってはどうなんだろうかこれはと。

何がかというと「教育」についてです。

観光客が毎日訪れるわけじゃないですか。

そこで彼らは見世物となっているんですよね。

この村では結婚する前の女性は白い服を着るのが特徴なのだそうで、ある女の子が白い服を着ていたので写真を撮られていました。

一方、僕のホームステイ先の子どもたちは毎日学校に通って週末にはインターナショナルスクールにも行く。家ではマンガかiPadでゲームのプレイ動画を見る。ただ、両親は忙しく家族との時間は少ない様子。

どうなんだろうこれは。明らかにいろんな差がありますよね。

うーん、ですが彼らも生きるためにそうした観光を利用しているわけです。そう、彼らも彼らなりに必死で生きてるわけですね。

f:id:toshitiru:20151213112920j:plain

伝統的な服を買うことができます。ガイドさんによる説明の最中。

f:id:toshitiru:20151213122739j:plain

子どもの姿を写真に撮る観光客

こうしたことの良し悪しを断じてしまおうだなんて思いませんが、違和感は拭えません。

言語学を専攻していますが、大学では国際関係・国際開発を主に学べる学部に所属しています。

教育に関心を持つものとして、このような現状を如何に捉えるべきなのかといったことは複雑な問題です。

村落開発支援は誰のためか―インドネシアの参加型開発協力に見る理論と実践

村落開発支援は誰のためか―インドネシアの参加型開発協力に見る理論と実践

この本は軽く内容を聞いた程度しか知らないのですが、「開発」を行う上では「誰のためなのか?」ということは考慮に入れるべきこととしてその道の先生に紹介されました。

問題は教育を受けているか否かではなく、「機会」の有無にあるとしましょう。

しかし、「機会」があることでこの問題は解決されるのでしょうか?

しないはずです。なぜか。

必ずしも機会があることが子どもたちのためになるわけではないからです。

むしろ知れば知るほど、己の現状に不満を持つかもしれません。

ダーイシュ(ISIS)なども就学を受けていない者というよりも、むしろ受けた者が集まってテロを起こしていたりしています。

もし教育が押し付けとなってしまった時、果たしてそれは「良い」教育だと言えるでしょうか?

義務教育と呼ばれ、教育を受けることにあまりにも慣れ過ぎてしまうと感覚が鈍くなってしまうかもしれません。

これはもはや「教育」の問題だけとは言えません。

社会そのものの問題です。

社会とはシステムです。

如何にシステムを構築するか。

複雑にそれぞれの要素-歴史・政治・経済・地理 etc.-が絡まり合い、今のシステムは作られてきました。

しかし、まだまだほころびがあちこちに溢れています。

では、どうすればいいのでしょうか?

一人だけで社会を変えることはできません。

ですが、いつも始まりは一人ですし、それに二人目がついていくかどうかが大事だとTEDで有名なプレゼンの一つである「How to make a movement」でも述べています。

www.youtube.com

誰のためは「それぞれ」のため

しかし、ここで重要なことがあります。

それは「基点」をどこに持つのか?ということです。

何かを協力して成し遂げたり、そのための議論をすることは「基点」を明確にしなければあやふやなものへとなってしまいます

ですから、今回もそこを考えなければそれはただの自分の意見を正当化するものになってしまいます。

つまり、先ほど疑問に抱いた「子どもたちの教育は誰のため?」といったことに対する考えなしでは意味がないということです。

こうした問いというのは、深堀すれば「教育とは何か?」「幸福とは何か?」といった哲学的な問いへと深まっていきます。

ですから、僕はまずはそこをきっちりと考えましょうよとよく主張してるんですね。

そこで僕の今日の結論はこれ。

「自分」のために生きればいい!

ひどく自己中心的に聞こえるかもしれません。

ですが、一端「開発」する側の人の視点に立ってみましょう。

幸い、勉強する機会、専門的な知識を大学等にて得る機会を頂けました。

そこで見えてくる現状の問題点。

しかし、それを未発達と断じてしまうことに対する問題。

悩みますね。

ですが、その人はどうしても「なんとかしたい!」と思った。

その人の気持ちはいったいどうすればいいのでしょうか?

答えは簡単です。

その人のために動けばいいんです!

なぜ自分の思いを裏切る必要があるのでしょうか。

ないはずです。

それがその人にとっての「幸せ」だからです。

「偽善」だと非難を浴びせる人も中にはいるかと思いますが、「偽善」でも「善」は「善」です

つまり、今回の問題の基点はそれぞれの「幸福」にあるということです。

この「哲学の意義ってなんだろう?」シリーズでも「生きる」ことの目的を突き詰めれば「幸福」になるということについて書いています。

 

どうしてもちゃんと考えようとすると、結局ここにたどり着いてしまします。笑

僕なりに考えたこともこのブログを通して、いろんな形で話していけたらなと思います。

ですが、哲学とは本来「孤独」なものでもあるんですね。

ですから、これを読んでくださった方々にも是非まずは自分で考えてみてもらえたらなと思います。

そして、とことん疑ってみてください。笑

いろいろと面白い発見があると思いますよ!

時々、この世の闇を知るかもしれませんが。笑

ではまた!

 



語りあそびテーター

としちる

日本サッカー協会に入るため筑波大学体育専門学群を目指すも、受験前に父親が逃亡し、やむなく部活を辞める。教材費と受験費を稼ぐためにバイトしながらの宅浪生活を2年間送った後、国際総合学類に入学。タイにて日本語指導と留学も経験。帰国後、「人から始まる学問の見える化」を旗印とした『入門学術メディア Share Study』を創設。運営サイトは4つ、記事執筆数は250以上、イベント運営に携わった数は50以上(17年8月現在)。最近、VALUも動かしてます。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Twitter で

「教養」をテーマにフリーランス系アカデミアンとして活動するとしちるのLINE@を始めました。ブログやTwitterではなかなか語れないことやLINE@登録者限定の資料も公開していく予定でっす!つれづれちるままに基本不定期更新で、執筆した記事をまとめて配信。確実に購読して、よりよく生きたい方どうぞ登録してやってくださいーッ!

-哲学
-

Copyright© TIRU LABO , 2017 All Rights Reserved.