これからの教養を考える としちるのブログ

つれちる雑記

知ることにおける負の側面

投稿日:2016年12月14日 更新日:

知るということは必ずしも役に立つとは限らない。

必ずしも楽しいとは限らない。

かといって、必ずしも苦しいわけでもない。

「学ぶ」という経験によって同時に起こりうるであろう喜怒哀楽についてつれづれちるままに。

前回の記事―科学の功罪

ども!2年前くらいの初心に帰ろうとふと思ったとしちる@ture_tiru)です。

前回、サイエンスコミュニケーション協会に参加した感想などを記事にしました。

サイエンスコミュニケーションでは、科学者が一般向けに科学を伝えるという目的などから、「科学を身近に」という観点が強い傾向にあります。

ですが、科学といえど万能なわけではありません。

例えば、原子力発電の創造は膨大な電気を生み出すという点などにおいて世に利益をもたらしてきた一方では、チェルノブイリ事故から福島原発事故などのように負の側面も顕にしました。

「知る」ことにおける負の側面

記事では、ただ単に科学の良い面だけでなく、悪い面、というよりも失敗した点、改善したほうがよいと思われる点もしっかり伝えていくこともまた重要なのではないかと書きました。

しかし、いわゆる負の側面を「知る」ということは必ずしも気持ちいいことではありません。むしろ、「知る」ことによって暗い気持ちになることもあるでしょう。

これは科学に限った話ではありません。

例えば、身近な人間関係。お互い微妙な距離感を保っているのに、心の内を知ってしまったとき、「知らない」でいたからこそ保たれてた関係は変化してしまうこともありますよね。

身内だからこそ微妙なことばが気になっったり口論のきっかけにもなったりしてしまう。仲のいい友だちだからこそ、どうしても気に食わないと思ってしまう側面が目につく。

必ずしも何もかもを知ったからといって、それが役に立つとは限らない。むしろ、その人の許容量を越えてしまう事態に陥ってしまう可能性もある。これは、単純に知識として吸収することのできるキャパシティーでもあり、知ったことによる陰鬱な気持ちでもあります。

「知る」ことの相矛盾した効果

ここまで書いたように、知るということは必ずしも気持ちのいいことではないですし、そもそも学び続けるのは大変です。今もテスト勉強をしながら僕も、「あー、大変だなぁ。」と思っています。

できれば、楽をして生きたいし、好きなことをしていたい。

そうよく思います。

けど、やっぱりきちんと知らないと良くないこともある。

しかし同時に、知れば知るほど、負の側面を思い知りながら暗澹たる思いを抱き、見えてくる世界が広がると同時に見えていた世界が見えなくなってきてしまう。

この相矛盾するような状態を脱するのは、「意外に難しい」というふうに徐々に学びを深めながら思うようになってきました。

「知る」ことの両輪を捉える

ですが、だからといって知ることのすべてがすべてマイナスであるわけではもちろんありません!

バラバラだった知と知が繋がった、アハ体験のような知的世界の面白さ、エクスタシィ―は格別です!

それに、それなりの「真実」を知ることができます。

良くも悪くも。

そう、この良くも悪くもの側面を捉えながら、そして学びを深めながら、同時にその学びの枠にはまりきらない自分でありたい。

それが、たぶん一つの「教養」のあり方なんだと思っています。

では~



ブログ管理人

としちる

日本サッカー協会に入るため筑波大学体育専門学群を目指すも、受験前に父親が逃亡し、やむなく部活を辞める。教材費と受験費を稼ぐためにバイトしながらの宅浪生活を2年間送った後、国際総合学類に入学。タイにて日本語指導と留学も経験。帰国後、「人から始まる学問の見える化」を旗印とした『入門学術メディア Share Study』を創設。運営サイトは4つ、記事執筆数は250以上、イベント運営に携わった数は50以上(17年8月現在)。最近、VALUも動かしてます。

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