これからの教養を考える フリーランス系アカデミアン としちるのブログ

教養

古典的な教養はもう古いから新しい教養を考えていこう

投稿日:2017年7月27日 更新日:

「教養」という言葉を聞いた時に思い浮かべるもの。

教育、教育、古典、自由七科、啓蒙、教養主義、芸術、スポーツ、エリート etc.

いろいろあると思うけど、どれも今となって歴史的に形作られた濃い「イデオロギー」が漂ってしまっているように思う。

いわゆる「知識」があることや「古典」を読みふけっていることが「教養」と語られてしまうことはもう古いんじゃないだろうか?

僕は新しい教養を考えていきたいし、できることなら指し示していきたいと思って日々生きている。

なぜ教養は古びれてしまったのか?

新しい教養というからには古い教養について、線引をしていくことが必要だ。

『移りゆく「教養」』という本を今日読んだ。

基本的にこの本で語られている内容は「古典的な教養」について。

つまり20世紀においては「教養」が外部の現実世界に対してみずからの価値を主張するという問題の前に、そもそも、「教養」を下支えする学問としての人文学じたいが、専門分化を通じて、一般人に近づきがたいようなものに変貌してしまった。

これを僕なりに解釈してまとめるとこういうことなのだと思います。

これまでは欧米諸国的な大学制度や学問を日本に輸入してきた中で、最初は大学に入れること自体がエリートの象徴だった。

けれど、戦後において高度経済成長時代に「敗戦国日本」を復興させていく上でも、もっともっと高等教育を充実させていく必要があったと。

それで、ガンガンと成長もしたし大学に入る学生の数も増えていったわけだけど、いざ、経済成長が止まり、社会構造も変化していく中で「教育機関」としての大学に求められる質も変化していったというのは、たぶんみなさん感じることだと思う。

大学と一重に言ってもまちまちで、同じ大学内でも当然学部によってもまちまち、さらにその中の個人によってまちまち。

そんな当たり前のことが、社会的・経済的変化の中で当初の大学像と世間での大学像にすれ違うが起きるようになってしまった。

さらには、インターネットの登場により、今までよりも可視化された大学の現状というものが多くの人に目に見えるようになってしまった。

そこで、個々人が生きる上で必要な経済性やそれを生み出すための専門性といった能力と理想的な姿である「教養」のあり方はすれ違って当然だと言えるのだろう。

新しい教養を求めて

そろそろ、新しい教養について、新しい大学のあり方や学問との携わり方が示されてきても良い頃合いだと思う。

ちょっと勉強された方なら分かると思うが、まだ伝統的なイデオロギーに引きずられて、

「今何が起きているのか?」

「これから何が起こりうるのか?」

ということにどこか目をつぶってしまっている人が多いように感じる。

技術的な革新がさらに発展してきた中で、当然その背景には資本主義がその発展を支えている中で、これまでと異なる「教養像」が露わになってきている。

例えば、『魔法の世紀』で語られる「デジタルネイチャー」なる世界観。

これからプロセッサの進化などがどれだけ進んでいくのかという問題なども技術発展にはあるし、デジタルネイチャーな世界に進むためには資本との関係も切っては切り離せないといった問題もないわけではない。

だが、技術を用いて思想的な側面にも言及していくような、そんな世界を無理矢理にでも作っていく気概を持った若手研究者として落合陽一さんがいるのだと思う。

他にも、ロボット工学で世界的に知られるアンドロイドを作って「人とは何か?」を突き止めようとする石黒浩さんもいるし、IPS細胞といったバイオテクノロジーの発展は「どこまで生命として捉えるのか?」といった問題なども浮き彫りになってきている。

ただの人文学的な、いわゆる啓蒙主義的な言及にするのではなく、

かといって技術偏重に陥りきるのでもなく、

理想論としての「古典的な教養」を叫ぶのではない、

経済的な問題・政治的な問題といった生の現実とも向き合った、

それでいてテクノロジーの発展を通して「未来」を見据えた、

そんな「新しい教養」を模索していくこと、問いていくことが重要になってくるのではないだろうか!

 

ここには一種の「教養」が重要だとする価値観がある。

僕はこれまで勉強を重ねる中で、大学や学問について考える中で、やっぱりそれらは突き詰めた上でとても重要なことを学ばしてくれると思っている。

ここまで「古典的な教養」についてあれこれ批判しておいて難だが、『これが「教養」だ』によると、元をたどれば、今のところは教養とは「公共圏と私生活圏を統合する生活の能力」だそうだ。

個人的にこの定義が一番しっくりきている。

要するに、「さまざまな立場に揺られながら過ごす生活の中で自分らしく生きること」が「教養」だったのだと著者は述べている。

これって、やっぱりみんなに関係することだと僕は思う。

だから、重要なことのはずだ。

そして、同時に人の欲望として何よりも大事なのが「自由」への欲求であり、それゆえに「自由の相互承認」をするという苫野一徳さんの哲学に僕は同意している。

だから、「教養」を問うていくし広めたいとも思うけど、それでいて押し付けはしない

そういうスタンスを僕は貫いていきたいと思っている。

ちょっと書くつもりが思ったよりガッツリと書いてしまった。

また改めてちゃんと書いていきたいと思う。

こうした思いや考え、知識については僕が創設した『入門学術メディア Share Study』にて体系的に示していく予定だ。

今日、ちょうどトップページの画像を変更した。

メンバーと徐々に活動を広げています。

ワクワクすること、それでいて良いことをやっていくさまざまなプロジェクト!

徐々に考えてます。

ではでは!

ブログ管理人

としちる

日本サッカー協会に入るため筑波大学体育専門学群を目指すも、受験前に父親が逃亡し、やむなく部活を辞める。教材費と受験費を稼ぐためにバイトしながらの宅浪生活を2年間送った後、国際総合学類に入学。タイにて日本語指導と留学も経験。帰国後、「人から始まる学問の見える化」を旗印とした『入門学術メディア Share Study』を創設。運営サイトは4つ、記事執筆数は250以上、イベント運営に携わった数は50以上(17年8月現在)。最近、VALUも動かしてます。

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