学問

知りたくない権利はどこまで可能?-「なんでもあり」ですべてを済ませたくはない

投稿日:2016年4月28日 更新日:

不意に「知りたくない権利」もあると言われた。

「知る権利」とはよく言われるし、中学の公民や高校の政治経済でも習うだろう。

けど、「知りたくない権利」ってなんなんだろう。ちょっと考えてみた。

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経緯-グロイ画像は見ないという権利

ども!伝えたい気持ちがあふれているとよく言われるとしちる@ture_tiru)です。

「sihiritakunai_kenri」と、急いでURLを書いたら誤字ってて恥ずかしい限りなのですが直すといろいろ消えちゃうのでやめときます…

今日、たまたま帰り道に会った友人たちとごはんを食べていました。

経緯は忘れてしまいましたが、こんな話になりました。

A「日本であんまりグロイ画像を見れないように規制しているのはいいと思う。」

僕「えー、なんで?できればあるがまま見たり知った方がよくない?(会心の一撃)」

A「知りたくない権利もあると思うんだよねー」

僕「おぉー。でもこの食べてる物(空のエビを指しながら)もグロくない?(ニヤニヤ」

A「うーん、それはまた違う慣れちゃったから。それに小さい動物見るのが苦手なんだよね。」

僕「へぇー、それはなんで?(戸惑い)」

A「なんか小さいから今にもしんじゃいそうで、下手したらころしちゃうかもしれないから」

僕「ほーほー。その意見は初めて聞いた。ちょっと面白いことこの上なし。(?)」

B「じゃあ虫は?」

A「虫は大丈夫。哺乳類だからかなー。」

僕「えっ、でもさ・・・(スイッチオン)」

自己責任でも語られていた「知りたくない権利」?

もう、話聞いててウキウキしちゃいました(笑)

あんまり深く突っ込んで考えたことなかったんですけど、そういえばたまに「知りたくない」という意見を聞きます。

例えば、僕が「自己責任」をテーマに分析してみたデヴィ夫人のブログ「大それたことをした湯川さんと後藤記者」でも似たような意見がありました。

 

「(シリアなどの危険地域を取材するジャーナリストを前提として)私たちは日本に住んでて中東の情報なんて求めているわけではないのに、なぜ彼らは日本人を危険にさらす可能性を持ってまでも取材に行くのか?わざわざ危険な地域に行った彼らを助ける必要はない。『自己責任』だ。」

もちろん、完全に同じ文章ではないですがこのような論理構造になっている意見はわりとよく見たように記憶しています。

ジャーナリストというかメディア関係者もこのような言説には批判的な意見を出していました。僕はそのような理由で「自己責任」だと切り離すことはできないと思いますが、その話はいったん置いといてと。

今回の件のような「知りたくない権利」。非常に興味深かったです。

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考察-多数決か真実なら「真実」を知りたい

あくまで僕の意見で「これが正しいんだ!」と声高らかに主張するわけではないですが、レッツ考察!

まず、ここで争点になるのはどこなのでしょう?

気になったのは「食べ物」や「虫」なら大丈夫というとこです。

これって「慣れ」の問題なのでしょうか?

じゃあ、「慣れれば」何したって構わない?

だとすれば、その考えというのは「人それぞれ」ということになりそうです。

この「人それぞれに価値観はあり、絶対的なものなんてない」とするのは「相対主義」とよく言われます。

この相対主義ってめちゃくちゃ強いですよね。

何を言ったとしても「いや、それはあなたの考えでしょ?私は違うから~。」と言ってしまえばだいたい議論に勝てます*1

よく相対主義は「それではなんでもありになってしまう」と批判されています。

実際、僕もそう思います。

では、翻って「これが絶対的なもので正しいのだぞ!」という主張の「絶対的」とする根拠はどこにあるのでしょう?

例えば、「人間として人はころしてはいけない」という話もありますが、それも突き詰めてみるとそうだともいえない意見があります。

 

優先すべきなのは「真実」なのか「(社会的・個人的な)正しさ」なのか?

僕なりの「応え」はありますが、それが絶対的に正しいと信じきることができる「答え」かというとそんなに自信はありません

こっそり書いたりしてなくもない

まぁ、「ピダハン」を読んでから「社会的な規律」には懐疑的な目線を持つようになってしまったんですよね…*2

そう簡単にこうする「べき」だなんて言えませんが、出来れば知ることは止めない方がいいのではないかと思わなくもないです。じゃないと、それこそ自分を相対化して見れなかったりしますし。それがどこまで適応できるのかというとこのように具体的な事例が出てきて難しいですけどね~。

特に今回は、そういう人もいるというぐらいの話かなとも思うのですが、ついついこっち方面の話が気になってしまいました(笑)

正しさは「結果」ではなく「過程」にしかない?

この「知りたくない権利」というものは非常に面白い考えだなと改めて思う一方で、コミュニケーションを取るって難しいなぁなんて思ったり。

結局みんな「正しさ」なんて分かってないし、確かに違いはあるのだから「真実に向かおうとする意志」、つまり「正しさ」を求めようとする態度を持つしかないんじゃないかと思うのですがどうなんでしょうか?

みんなはできないって話なんですけどね。

終わらない旅になりそうです。

では~

*1:果たして、これが議論に勝ったと言えるのか、それとも議論の放棄なのか、そもそも議論ってなんなのかという話はありますが。

*2:数・色名・神といった概念がない民族「ピダハン」の言語人類学のお話。救えないなら人を見捨てたりします。研究者であり、この本の著者は「ミイラ取りがミイラになった」が如く、キリスト教を広めに来たのに最終的にはキリスト教信者をやめてしまいました。非常に面白いのでおすすめ!


ブログ管理人
としちる

ミスチルと青い鳥が好き。大学生活前半は冊子制作に打ち込むも紆余曲折あって研究者を目指すことに。夢はアカデミーを作ること。研究の狭き道でも生きていくこととやりたいことを両立させるために、サイト運営やライティング、Webデザインといったメディア系スキル・ビジネスのイロハも学んでる。つれづれ“ちる”ままに、時に激しく主にダラダラがモットー。

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