これからの教養を考える フリーランス系アカデミアン としちるのブログ

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「人間性」という言葉に持つ違和感―なぜポジティブなニュアンスとして使われるのか?

投稿日:2016年8月30日 更新日:

「人間性」という言葉に違和感を持ったことがありますでしょうか?

僕はしょっちゅう「おかしいな~」と思ったりしています。

だって「人間」って「良くも悪くも」人間だとは思いませんか?

「人間性」という言葉が持つ文脈

ども!細かいことばの使い方が時に気になるとしちる@ture_tiru)です。

「言語学者は日常何気なく使っている言葉遣いに突っ込んだりするので嫌われやすい」なんて書いてある本もありましたが、それを肌で実感しつつある今日この頃です。

「人間性」という言葉を聞いた時、どのような文を思い浮かぶでしょうか?

例えば「人間性を疑うわ~」なんてよく聞き慣れた言葉なんじゃないかと思います。

ですが、僕はこのような言葉を聞いた時に脳内のシナプスがピピピッと繋がり

「はっ?」

とやや威圧的に表情を強張らせてしまっているかもしれません。

冗談です。

なぜ「人間性」という言葉に違和感を持つのか?

ひとえに「人間性」といっても様々な文脈があるかと思います。

ですから、今回はあくまで「人間性」という言葉にポジティブな意味合いのみを付加した場合についてのみ言及します。

というのも、何が気になるかというと「人間」というものは「良くも悪くも」人間のはずなのに、なぜ前提として「人間」が「良い」ものとして扱われるのか?ということなのです。

「人間性を疑う」然り、「人間性が低い」という言葉然り。

こういった言葉を使うときに無意識のうちに「人間性とは『良い』人間の性質」というものが了解されているかのように受け取ることができます。

ですが、それってすごく恣意的だとは思わないでしょうか?

※ 「恣意的」とは、場当たり的に自分本位なことを意味する形容動詞。

本来、「人間」というものは「善」と「悪」を持つものです。

そもそも「善」がなければ「悪」という概念も理解されないですし、それは「悪い」がなければ「良い」もないのと同じです。

例えていうならタオの概念のように「光」がなければ「闇」もないし「闇」あってこその「光」だということです。

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「善悪」を持つ「人間性」

こうした言葉を無意識に用い続けてしまうと本当のところ何が「正しい」のかわからなくなってしまうのではないかと思っています

何より、「人間性」というあやふやな言葉で誰かを蔑むようなことをするのが好きではありません。

正直、嫌いです。

「あんたは人間の何が分かっているって言うんだッ!」

なんて怒れる瞳のシン・アスカ(機動戦士ガンダムSEED DESTINYの主人公)が顔を出します。

そういえば「平和」「戦争」も似てますよね…

では~


ブログ管理人
としちる

ミスチルと青い鳥が好き。大学生活前半は冊子制作に打ち込むも紆余曲折あって研究者を目指すことに。夢はアカデミーを作ること。研究の狭き道でも生きていくこととやりたいことを両立させるために、サイト運営やライティング、Webデザインといったメディア系スキル・ビジネスのイロハも学んでる。つれづれ“ちる”ままに、時に激しく主にダラダラがモットー。

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