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東京喰種:re9巻で一番好きな名言―亜門鋼太朗が語った唯一「正しい」と言えることとは?

投稿日:2016年12月27日 更新日:

東京喰種:re9巻を読んで心打たれた名言がある。

それは、亜門鋼太朗が最後?に才子に向けて言い残したことばだ。

僕も本当に「正しさ」については「考え続ける」ことしかできないと思っている。

9巻のあらすじや感想は別記事

下記の記事にて全体的な感想を書いてます。

亜門が最後に言い残した言葉

東京喰種:re9巻228P引用

亜門の生い立ちからこの名言に至るまでの概要

亜門鋼太朗はもともと、人間でした。作中でも最も正義感に溢れる男だったと言っても過言ではないでしょう。

彼が主人公である金木研と初対峙した際に残した名言。

「この世界は間違っている…!」

喰種こそがこの世界を歪める根幹にいるのだという信念から、CCG捜査官として徐々に戦果を上げていきます。

亜門鋼太朗がそうした思いを抱くようになったのも、孤児であった自身を育てた親とも言える存在の孤児院の神父が実は喰種であったことと関係しています。

なぜかそれでも自分を捕食しなかった神父に複雑な感情を抱きつつも、残虐に塗りたくられた幼き日々を忘れないようにと十字架のネックレスを肌身離さず持ち歩く…

CCG捜査官として操作を続けるも、CCGこそがこの世界を歪める要因であったこととに気づきつつも、東京喰種の最終局面においてカネキと相打ち姿を消した亜門鋼太朗。

その後の行方は不明でしたがその戦闘の最中、アオギリに拉致され喰種化実験に利用されていました。半喰種化するも赫子が暴走して赫者として暴走してしまうことから、「失敗作(フロッピー)」の烙印を押されます。

そんな亜門が東京喰種:re9巻にてついにしっかりと登場し、喰種化に成功したかつての同僚で後輩の滝澤と因縁の戦いを繰り広げた今回。

滝澤を救うため、途中で乱入したクインクスたちの足止めをするために戦い、かつて救ったこともある才子に「かつて自分を助けたあなたがなぜこんなことをするのか?」と問われ出てきたのがこの発言。

「この世界は歪んでいる…なにが正しいかなにが間違っているか…簡単にわからなくなる

だから…

考え続けるんだ…お前の選択が間違っていないか

その行為だけは正しいと言える事の筈だ…」

この言葉の意味

ここまで背景を述べてきたのでおおよそ分かるでしょう。

散々、自分の信念を貫くために己を鍛え戦い続けた日々。

そんな日々も、信じていた親同然の存在に裏切られたこと、そもそも自分が所属していたCCGがおかしかったことや自身が駆逐し続けてきた喰種になってしまったこと、またかつての同僚と因縁を交えるがごとく戦ったこと、そして一度は救ったものに命を絶たれるかの瀬戸際に立たされたこと。

亜門の人生は、どこもかしこも歪みの結束点にいるかのように思えます。

だからこそ、亜門は己に問い続けてきたのでしょう。

「この世界は歪んでいる。己すらも。ならば、なにが正しいのか?」 

こうした問いそのものが最終的には「正しさ」へと至ったことをこのセリフは象徴しているように僕には思えました。

考え続ける「正しさ」

どうにも「正解」を求めている人が多いように思えます。

しかし、いったいなにをもって正解と言えるのでしょうか?

お金なのでしょうか?

友でしょうか?

家族でしょうか?

幸せなのでしょうか?

では、あなたが幸せであればそれでいいのでしょうか?

そうじゃないとしたら、「どこまで」を含めればそれは幸せなのでしょうか?

それとも、そもそもそんなことを考える必要もないのでしょうか?

「3.9+5.1」の解答をめぐる議論を見かけましたが、答えは「9」なのでしょうか?それとも「9.0」なのでしょうか?

学校教育ではまだ習っていない領域であることから、「9」が正解とされるようです。

しかし数学者に言わせれば、条件が問題にふされてもいないのになぜ「9.0」じゃいけないのか分からないとのこと。

結局、どっちが正しいのでしょうか?

実践的な教育手法体制を重視するのか、それとも数学的な「答え」を重視するのか?

それとも第三の道を見出すのか?

結局のところ、考え続けるしかないのでしょう。

ここでいう考え続けるとは、ただ頭の中を捏ねくり回すのではありません。

そうではなく、「じゃあ、どうしたらいいのか」ってことをさまざまな角度から、議論をするということです。

そう、つまり「話し合う」ということ。

理想論ではありますが、それ以外にいったいなにをするんだと思わなくもありません。

以前の記事でも「学問はコミュニケーション仮説」としたように、学問であっても如何に研究者同士のコミュニケーションを上手にするか、つまり上手に説得するかという要素もあります。

「ことばは生き物」:学問はコミュニケーション仮説―言語学と科学哲学の歴史を適当につれづれと

つまり、「なんでもあり」で終わらせないで「考え続けよう」「話し合おう」ということです。

すべてがすべてそうだと断言するわけではないですが、そうしたことが少なからず重要なのではないかとよく思います。

僕がこの記事で最終的に言いたかったことはそういうことです。

ちょっと一部の人に誤解をされてしまいましたが… 

サイエンスコミュニケーションと科学の功罪―日本サイエンスコミュニケーション協会年会に参加した感想

 

そんなことを僕自身も思いながら生きていこうと改めて思いました。

まっ、結構たいへんなんですけどねこれが(笑)

では~



学ぶ編集者

としちる

日本サッカー協会に入るため筑波大学体育専門学群を目指すも、受験前に父親が逃亡し、やむなく部活を辞める。教材費と受験費を稼ぐためにバイトしながらの宅浪生活を2年間送った後、国際総合学類に入学。タイにて日本語指導と留学も経験。帰国後、「人から始まる学問の見える化」を旗印とした『入門学術メディア Share Study』を創設。運営サイトは4つ、記事執筆数は250以上、イベント運営に携わった数は50以上(17年8月現在)。最近、VALUも動かしてます。

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