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言語学

【自己責任分析4】批判的談話分析(Critical Discourse Analysis: CDA)の概要と分析者の立ち位置

投稿日:2016年2月22日 更新日:

【自己責任分析3】自己責任論の何が問題なのか?

ISIL日本人人質事件における自己責任分析3記事目。「自己責任」という言葉にどのような問題意識を持ったのかを紹介しています。

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第4回目の自己責任分析では、研究方法として用いた批判的談話分析(Critical Discourse Analysis: 以下、CDA)を概観します。

この研究方法は大きく括ると社会言語学応用言語学に属していて、言語学・社会学・歴史学・人類学・心理学などにも広がる学際的な研究方法でもあります

それと同時に、何を持って「批判」足り得るのか?つまり、何を持って「正しさ」を示し批判することができるのか?ということが学問としては曖昧だと逆に批判されている学問分野でもあります

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学問の特徴

学問とはただの意見を述べたり、レポートを書いたりするだけではいけません。

なぜなら学問で明らかにされることは「普遍的」なものでなければいけないからです

例えば、小保方さんの研究不正に関して手記が出版されたことで再び話題になりましたが、彼女がなぜこうまでして批判されたかは端的に実験を改ざんし「普遍的」なものであるかのように偽ったからです。

あくまで学問では「客観的」で「論理的」であることが求められます

そうでなければ基本的に論文とは認められません。

そうした特徴から「自己責任」を分析するに当たり、批判する上での「正しさ」を示す必要があるというわけです。

CDAの特徴

CDAはまだ体系的に研究方法が定まっていません。

徐々に確立されていますが、詳細は置いといて大まかな特徴を野呂佳代子さんの『「正しさ」への問い 批判的社会言 語学の試み』(2001)の「1章 クリティカル・ディスコース・アナリシス:2. CDA とは 何か」を参考に書いていきます。

野呂はCDAを端的に以下のように述べています。

CDA は、談話を分析資料としている時点で談話分析研究の範疇に入れることが可能であるが、一定の理論的モデルや方法論をもつ一つの学派をさすのではなく、現代社会の不平等な力関係を内包した談話を批判的に分析するという認識のもとで発達してきた一連の談話分析研究をさすものである。

最初にCDAが行う批判的分析を行う上での二つの観点、次に「目標、政治的偏向、実践性、研究対象、談話と歴史性、多元的取り組み」という6つの観点から CDA の特徴を整理していきます*1

二つの観点からの批判的な分析

CDA は主に二つの観点から「批判的」な分析を試みます。

  1. 批判対象である談話や言説が表出されているテクストそのものから発話者の対象など多元的なコンテクストを精緻に分析し、無意識的に暗示されている意味解釈を読み取ろうとするもの
  2. テクストの中に埋め込まれた社会的に持つ権力性により抑圧される対象を社会的な観点から問題視するもの

CDAにおける6つの基本的特徴

CDAの目標

  1. 多元文化主義的、民主主義的世界の発展に貢献することで、テクストによって発信し受信されている抑圧的なイデオロギーに批判的なまなざしを提供すること。
  2. 学際的でかつ包括的に洗練された理論および方法論の構築を目指すこと。

前者は CDA としてテクストによるなんらかの権力性を明るみにすることですが、後者は学問として客観的、論理的な方法を構築することを目指すということにあります

CDAにおける政治的偏向

上記の目標を掲げる一方で、CDA は学問的中立性以上に分析者自身の政治的社会的立場を明確に表明します

チョムスキーらが構築し研究を重ねた言語学では、学問上における客観性が極端に重視されてきました。しかし、CDA はこの言語学観に必ずしも賛同しません。あくまで分析者という一個人のテクスト選択、解釈によって権力性に対する問題意識を表明することが前提となっています。

しかし「CDAの目標」にもある通り、それは学問的な客観性を目指し論理的なものへとしていく努力を怠るということを意味しません

どのような学問であれ、個人の主観をすべて完璧に脱し切れるわけではないことは昨今の自然科学、 とりわけ量子力学といった学問からも述べることができます*2

「量子力学の世界では、観測 するまで粒子の位置は決められないのです。」*3実際にあるのは主観的な客観、客観的な主観であるといったように二項対立的に「正しさ」があるのではなく、ただグラデーション的にその正しさがあると言うのが妥当でしょう

そのような見地から、談話や言説に批判的なまなざしを向ける上で、分析者の立ち位置を明確にし、間主観的にその批判的なまなざしの「正しさ」を目指しつつ、分析を行うことでリテラシーの向上を図ります

CDAにおける実践性

分析者の立ち位置を表明することで完璧な客観性の呪縛から脱し、個人の問題意識から社会的な問題へのアプローチを行うことによって、世にはびこる不可思議な力の不平等を取り除くことを目指します。

そうしたことを CDA の目標として掲げるということは、ただ論理を論文にて展開するだけでなく、社会的実践(一般向けのセミナーなど etc.)として行っていくことも研究の延長線上にあると考えます。言語上の支配的な生産に対して、批判的な読みの可能性を提示し、その逆方向の過程を目指すというわけです。

CDAにおける研究対象

CDA の研究対象としてここまで述べてきた権力性は公的な談話において発言権を持つエリート層に向けられることが多いです。そこで、紙の新聞やテレビなどの映像、インターネットにおける談話といった公的なメディアを批判対象として選ぶことが必然的に多くなります。

分析者を明示することや社会文化的現象を問題にする特徴から、批判対象とするテクストの選択の正しさが同時に問われることにもなります。ある特定のテクストに表された現象から、とあるテーマに関し膨大な資料のもとに分析をしていく場合もあります。

CDAにおける談話と歴史の関係性

CDAにおける研究対象の特徴から、次の二点で談話を歴史的に捉えます。

  1. 談話がなされた位置を歴史的に大きな視点でも捉えその社会的文化的変化の意味を問うこと。
  2. 暗喩された言外の意味を歴史的なコンテクストから比較・検討すること。

もしそうしなければ、テクストが事実とするものと歴史的に事実とするものの差異や変化に隠された言説が再生産する要因といったものを見逃すことになってしまうためです

CDAの多元的取り組み

最後にCDA の特徴として野呂が挙げるのは、多元的な取り組みが必要だということでです。

談話とは一種の社会的活動が反映されたものであり、それを分析することは社会の維持、再生産、変革といった要素も同時に鑑みる必要があるということでもあります

そうした社会や文化として表出されたものに対し問題意識を持ち、また CDAの目的である社会的不平等を解決していくためには、理論・方法としても学際的な取り組みが必要になります。

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Norman FaircloughのCDA

Faircloughはテクストをただ言語学的に分析するのではなく、政治文化的な知識とともに分析し、社会的不平等をもたらすイデオロギーを暴き出そうとする理論を構築しています

テクストを政治文化的な知識を含めて抽象的に解釈しようとする試みであり、テクストを入り組んだ談話や異なるタイプのものとして分析することを間テクスト的分析として、これを重視します。

それゆえ、テクストをミクロ的な視点で緻密に分析するものより、資料を提示する上での粗い偏向を避けられないとして批判が為されてもいます。つまり、持論を展開する上で資料を選択しているということです。

こうした批判から、CDA 全体として曖昧だとされる「正しさ」の基準をより包括的に洗練したものにしようとする理論が目指されてきました。その例として、「社会認知」の面を重視するvan Dijkや方法論的多元主義の観点から学際的に解釈を試みるべきだとしてWadakを中心としたウィーングループによって考案された談話歴史法などがあります。

CDAのまとめ

CDAは学問でありながらもその枠から外に出ていくことも重視するような変わった研究方法です。僕がこうしてこのブログに書いているのも一つの実践として外に向け発信してみようという一環でもあります。

今回は論文にまとめた内容を少し文体を変えて整理しただけなので読みにくかったかもしれません…反省しています…

もう少し知識を蓄え、もっとかみ砕いて説明できるようになったらまたまとめてみたいと思います。

次はこうしたCDAの特徴を前提にして、分析者、つまり僕がどのような立場から「自己責任」を分析しようとしたのかをまとめます。

今回の分析は「自己責任」概念のあからさまな否定ではない

最初に明記しておきたいのはこの分析の全般を通して「自己責任」を真っ向から否定してやろうというわけではないということです。

というのも一重に「自己責任」と言っても、様々な文脈があります。

後に「デヴィ夫人のブログ内コメント」を分析していく中でも大雑把に4つのタイプの「自己責任」がありました。

その4つとは、

  1. リスクマネジメント
  2. 非難
  3. リスクマネジメント+非難
  4. その他(「自己責任論」などの定義をする上で使われている言葉)

です。

この分析においては「非難」でさえも明確に否定していません。

(おかしなところがあるとは突っ込んでいますが)

あくまでも、ISILイスラム国日本人人質事件においてどのようにこの言葉が機能したのかを分析し、その背景には社会的にどのような過程があったのかを考察していくための分析です

つまり、この事件においての「自己責任」概念における視座を提供し、少しでも社会的に起きつつある不平等に批判的な目線を投げかけていくことが目標です

CDAにおける「正しさ」を如何に担保するか?

CDAには批判する上での「正しさ」をどのように正当化するのか?という点で批判がなされています。

そこでこの分析を行う上で分析者である僕の社会的立ち位置等について述べていく必要があります。

なぜかというと、本来の学問では客観性を担保することを目標としていますがCDAでは分析者が表に立って主張を行うからです。これは主観的ですよね…

そもそも「客観性」とは?

まず、こうした問題を考えるに当たってそもそも「客観」とは何か?ということをハッキリさせなければいけません。

どのような研究であれそれを行う人が必ずいるはずです。

ならば個人であれ、集団であろうと、その最小単位となる個人には必然的に何かしらの偏見が生じてしまいます

なぜなら、生まれ育った場所、教えを乞うた人、家族、友人などその人を取り巻いてきた環境は個人に何かしらの独特の影響を及ぼし厳密に言えば完璧な客観には成り得ません。

つまり、主観であろうと客観であろうと完璧な純度100%のものには成り得ずに、ただグラデーション的にそれが存在しているということですね。

ただ、ここで述べておきたいのはだからといって客観的なものを目指さなくていいというわけではありません。

むしろだからこそ、客観的になる努力が必要です。

自然科学における「客観」

「完璧な客観などないんだ」と言うと、では「数学や物理学などの自然科学ではどうなんだ?」と思う方もいるかと思います。

ただ一見すると客観的に見える自然科学もどうやらそうではないことが未だその理論を崩されていないゲーデルの「不完全性定理」や量子力学の「不確定性定理」を知ることで分かります。

「不完全性定理」とはざっくばらんに言うと「自然数は数学で証明することができない」というものです*4*5

「えっ、嘘でしょ?」って感じなんですが本当です。

「不確定性定理」とは量子力学の理論を用いてどんどんとミクロの世界の「存在」を求めていくとある地点で逆にその確率が大きくなっていってしまい、結局のところ存在を完璧に確定させることはできないというものです。

そもそも科学の基礎として横たわる「自然科学」の象徴とも言えるような数学でさえも「自然数」すら証明できない。

そう考えると「完璧」な客観というものを疑った方が良いということが言えるかと思います。

とにかく、学問というものは初めから「正しさ」があったのではなく歴史的に推敲されていく中で生み出されてきたものであるということです。

そして、分析者である僕もその伝統に則って行う努力をしています。

分析者の立ち位置

分析者である僕は「自己責任」という曖昧な言葉によって議論が散漫となり、ただの揚げ足取りや罵詈雑言が吐き出されてしまうことに一種の危機感を抱いています

そもそも人間というものは社会的動物でもあり、政治的な生き物でもあります*6

民主主義の名の下に政治的活動に関わらなければいけない以上、政治的判断として誰の何を支持するのかということは人間的活動を行う上で根本的な問題だと言えるはずです

そして、民主主義的な政治的活動をする上で、議論を如何に行い、妥協を含めた同意やそれ以上の新たな価値観を弁証法的に生み出していけるかというのは重要な要素です。

そうした前提のもと、「自己責任」という概念がもたらしうる曖昧な議論に批判的な目線を投げかけているというわけです。

最後のまとめ

このような学問の特徴、その特徴として重要視されている「客観性」についての僕の考え方、またその上での「自己責任」がはらむ問題をまとめてみました。

次回はではそもそもその「自己責任」とは日本でどのような概念だったのかを朝日新聞の使用語数の変遷などを中心にして述べていきたいと思います。

では!

 

【自己責任分析5】自己責任はどのような背景の元に用いられていた言葉か?

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「正しさ」への問い―批判的社会言語学の試み

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*1:野呂佳代子さんの『「正しさ」への問い 批判的社会言 語学の試み』(2001)の「1章 クリティカル・ディスコース・アナリシス:2. CDA とは 何か」を参照

*2:量子力学では、観測者がいて初めて物体の存在が確定するとされています。

*3:大栗博司「重力とは何か アインシュタインから超弦理論 へ、宇宙の謎に迫る」を参考

*4:数学者ではないので詳しく専門的に語れるわけではないのですが、この理論は未だに覆されてはいないものです。高橋昌一郎さんの「理性の限界」講談社現代新書に「不完全性定理」と「不確定性定理」について分かりやすく説明されています。

*5:本来であれば、論文では先行研究を明記した上で論じる必要がありますが、今回は卒業論文を書くための練習である独立論文というものであるので、暫定的なものとして書かせて頂いています。しかし、両方とも科学の限界として乗り越えられていない壁であること、また現象学的観点からも完璧な客観は確立できないという前提に立っています。

*6:ハンナ・アーレント(1973)「人間の条件」で、人間の条件として「労働」「仕事」「活動」を挙げた。 特にアーレントは「活動」を重視し、多様性の元で他者との差異を認識し、同時に独自性を得ることができるとし、そうした公的領域が古代ギリシア的な政治としてあったとした。

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としちる

知識と知識が繋がった瞬間がたまらなく好きな凝り性。冊子制作で学んだ取材・記事執筆やデザイン制作のスキルをWeb上にて、学問的なものを発信することに役立てられればと思い活動している。

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