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「知る」と「分かる」の違いから垣間見る習慣の作り方―「つもり」から抜け出す!

投稿日:2015年3月7日 更新日:

「知る」と「分かる」という言葉について、どういう風に違うか意識したことはありますでしょうか?

意外にこれらの違いを意識するのは重要です!

というのも、「知る」は最初のステップであり、「分かる」に至ることが知識や経験を活かす上では重要だからです。

「知る」と「分かる」の違い

タイトルに挙げた「知る」と「分かる」の辞書的な意味が以下です。

「知る」

①物事を知覚したり認識したりする。

②体験を通して物事を感じとる。実感する。また、実地に物事を体験する。

etc.

「分かる」

①物事が区別されてそれと知られるようになる。はっきりと明らかになる。判明する。

②物事の意味・内容・価値などが理解できる。

etc.

引用:明鏡国語辞典

これらの言葉を使うときに僕が気をつけていることがあります。

 

それは、

「知る」とは、知識がある、記憶している、経験している

「分かる」とは、「知っている」ことを人に説明することができる

ということです。

 

実はこれは受験時代にお世話になっていた頃に教わっていた人の受け売りなのですが、もう少しそこから深堀りして考えてみます。いくら「知っていて」も、それを実際に応用して使うことができないと、つまり「分かって」いないと大学受験の問題には太刀打ちできません

簡単な問題というものはだいたい「知っている」だけでいいんです。しかし、大学受験の問題というものはけっこー癖があるものが多い。

一見、見たこともないような訳の分からない問題というものは、高校で習う範囲のものを「分かって」いるとそれを糸口にして解くことができます。

この「知る」と「分かる」の隔たりというものは思っている以上にあるはずです。

「そんなこと当たり前じゃん」

と思う人も多いでしょうが物事を見る目というものを養っていく上で、この捉え方というものは大学受験のような勉学に限らず、様々なものに応用していくことができます。

知っている・わかっているつもりにならないよう気をつける

例えば、人の性格判断。

自分の性格はこう。あの人の性格はこう。

と「知っている」ことは多いでしょう。

 

しかし、「なぜ」そうなのでしょうか?

意外とその理由をきちんと説明できないし、「分かって」いないことを決めつけて見る人が多いという実感があります。

 

もしかしたら、困難な家庭事情であったり、そうならざるを得ないような環境下で育ってきたり、たまたまおかしな態度をとってしまうような事態に陥っているかもしれないのです。

それを分からず、一概に「あいつは変だ。おかしい。」と言ってしまうことの方がおかしい場合ってあるのではないでしょうか。

 

仮にそうだとして、事情も知らず自らの価値観を押し付けてしまうことはあまり良い判断だとは思えません。

身近な例で、明らかにおかしいって思うこともありますけどね。

それも生きてきた環境下で形成された個人の価値判断になってしまうのかもしれませんが、だからこそ「人間」とは「人間性」とは何かということを知ることの意義が生まれる気がします。

 

物事は「多面的」にみるべきです。

「分からない」ということを「分かる」ということが一つの「教養」のあり方ではないでしょうか

 

意外とみんな「知っている」だけなんですよね

僕もそうですからこうやって書いてみたりしてるわけなんですが。笑

知る→分かる→できる→習慣になる

「分かる」ということは「知っている」ことを理解しているだけでなく、応用することができる状態なんだと思うんです。

そして、「分かる」と「できる」の間にもまた大きな隔たりがあります。

「できる」ようになるには練習が必要です。

まず、その行動を起こす勇気と反復し続ける忍耐力が必要です。

さらに深堀りすると、「できる」と「習慣化する」にも大きな隔たりがあります。

意識して行うことが「できる」ことと、意識しなくとも「習慣化」して行うことはかなり違うと言っていいでしょう。

さらには「習慣」は人格を表していきます。

自己啓発書で有名な「7つの習慣」にも習慣の重要性は描かれています。

「習慣」から脱し「習慣」を作る

人格は繰り返し行うことの集大成である。それ故、秀でるためには、一度の行動ではなく習慣が必要である。

アリストテレス

という言葉もあります。

しかし、同時にだからこそ「習慣」とは怖いものなのだと思います。

「習慣化」されていると、それが正しいものだと思い込んでしまいます。

「当たり前」だと思われていることっていうのは結局のところ、自分が育ち見てきたものでしかないのではないでしょうか。

そうすると、異なる考えにぶつかった時に「否定」することに繋がりかねません。

それすらも、「一面的」なものでしかないのにです。

そうすると、変われなくなってしまうんですよね。

厳密には変わっているのですが、「変わらない」と思い込んでしまう。

それは僕が嫌う「思考停止」に結びついていく…

 

ですから、

「知る」と「分かる」

「分かる」と「出来る」

「出来る」と「習慣化する」

ということを認識するのは大切なことなのではないでしょうか?

 

自分自身の思考、行動は一体どの段階にいるのか当てはめてみると思わぬ自分に出くわすかもしれません!

外向けに書いておいてなんですが、自分に向けて書いていたりします。笑

では~



学ぶ編集者

としちる

日本サッカー協会に入るため筑波大学体育専門学群を目指すも、受験前に父親が逃亡し、やむなく部活を辞める。教材費と受験費を稼ぐためにバイトしながらの宅浪生活を2年間送った後、国際総合学類に入学。タイにて日本語指導と留学も経験。帰国後、「人から始まる学問の見える化」を旗印とした『入門学術メディア Share Study』を創設。運営サイトは4つ、記事執筆数は250以上、イベント運営に携わった数は50以上(17年8月現在)。最近、VALUも動かしてます。

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