読書感想・レビュー

【読書概要&レビュー】「サル化」する人間社会-霊長類研究を通して人間とは何かを考える

投稿日:2015年3月20日 更新日:

『「サル化」する人間社会』という本を読み終えました!勢いそのまま、本の概要と感想をつれづれっと書きます。

【基本データ】

発行-集英社インターナショナル

著者-山極寿一

発売-2014年7月30日

【目次】

はじめに

第一章 なぜゴリラを研究するのか

第二章 ゴリラの魅力

第三章 ゴリラと同性愛

第四章 家族の起源を探る

第五章 なぜゴリラは歌うのか

第六章 言語以前のコミュニケーションと社会性の進化

第七章 「サル化」する人間社会

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『「サル化」する人間社会』概要

著者は霊長類学と人類学の研究を通し比較することで、「人間とは何か」について探ってきた。

社会的動物である人間の本質を知るためには、人間社会の由来を知る必要がある。

根源的な事実に近づくためにも進化論において人類の祖先とされる霊長類の研究をする道を選んだ。

研究対象は主にゴリラ。

研究初期はサルの研究をしていたが、サルは簡単には人に心を開いてくれず、研究者のつながりからゴリラを研究する道に進んだ。

サルは序列社会であり、勝ち負けの世界を作り上げる。

一方、ゴリラの社会は勝ち負けという概念がない。

人間社会はサルとゴリラ両方の性質があると言えるが、ゴリラからサルの社会へ傾きつつあると筆者は考える。

筆者はこうした現代の人間社会において、「家族」がキーワードになると主張している。

「家族」という枠組ができたのは、初期人類が熱帯雨林から草原で暮らすようになったころまで遡れる。

そこで、進化の過程で食料を確保するためという必要に迫られることによって、食料を得るものと子育てをするもの、という役割分担がされた。

食料を確保するためにも、「多産」をするようになり赤ん坊の世話として付きっきりにはなれないため「子守唄」をするようになり、それが言語を生み出したコミュニケーションの原初なのではないかと著者推測する。

やがて子育ての必要性から「家族」だけでなく「共同体」を作り上げた。

人間やサルなどの類人猿が元来持つとされる高い共感能力によって、「音」によるコミュニケーションはやがて大人にも利用されるようになり、一つの集団のみだけでなく異なる集団との交流が言語を生み出したのではないかと推測する。

ゴリラの特徴

・サルは人に慣れると無視するが、ゴリラは受け入れてくれる。

・ゴリラはどんな相手に対しても「負ける」という態度を取らない。

つまり、媚びるということをしない。

・喧嘩しても、仲直りするときは相手の顔をじっと見る。

時に、第三者が入るがどちらの味方もしない

優劣がないからメスでもオスの喧嘩に第三者として入ることができる

・ゴリラは「失敗」は顔に表す。

つまり、内向的で自分を外から見る能力がある。

ある意味、プライドがある。

・ゴリラとサルの違いは知能ではなく「社会性」があること。

つまり、共感能力が高い。

・ゴリラは「遊ぶ」ことができる。

「遊び」には相手を傷つけないようにする必要があるため、高度な共感能力を必要とする。

・ゴリラにも同性愛がある。

インセスト・タブー:近親感の性交渉の禁止

文化によって規定されたものではなく、ゴリラの社会にも見られたことからその仮説は覆された。

・ゴリラは食べ物を分け合うことができるがサルはできない。

なぜなら、優位なサルに食料を奪われてしまうから。

食べ方によって、社会関係を生み出している。

著者が考える人間の「社会性」

①見返りのない奉仕をすること

向社会的行動:相手のために何かをしてあげるという行動。

②互酬性

何かをしたら、必ずお返しをする。(例:経済活動)

③帰属意識

人間は帰属意識を持っているからこそ、さまざまな集団を渡り歩くことができるのでは。

しかし、現代社会は個人の利益と効率を優先するサル的序列社会に近づいている。

IT革命によるコミュニケーションの変容によって、ますますその傾向は加速している。

言葉だけでは、人間は十分にコミュニケーションを取ることはできない。

相手の態度、顔、表情や目の動き…

そうした視覚によるもの、つまりフェイス・トゥー・フェイスのコミュニケーションを人間は捨て去ることはできないのではないか。

『「サル化」する人間社会』感想

こうした生物学的な観点から人類を見直すということは中学生くらいの時からちょこっと考えていたりして、非常に興味深く読ませて頂いた。人類を語る上で、生物進化の歴史を抜きには語れないと思う。だから、著者のこうした霊長類の研究から人類を映し出そうとする姿勢にはとても共感した。

 

けれど読んでみて、やはりゴリラについて割かれているページ数が多い。読んでいて新鮮だったし、面白かったが、個人的にはもっと人類の視点で突っ込んだ記述が欲しかった。そこに関する分析内容が薄いから、主張に対する説得力が弱まっていたと思う。

 

正直、「家族」という社会形態は互酬性といった見返りのない行為にあるとしている点なんかは、分析が甘いと思う。自分が実際、そうした意識の希薄した社会状況化に生まれたしあるからかもしれないが、「家族」だからといってそうしたことを原始的にもするかというと疑問だ。

 

じゃあ、今度はなぜそうした「個人主義」的なものが蔓延する社会になってしまったのか。結局のところ、そうした進化論的な立場に立てば、弱肉強食の世界なわけで生き残れるか否かといった問題が重要になってくる。

 

そして、今の社会はこれでもかというほどに人間が生きるための活動の中で経済活動である「労働」が占めてしまっている。これは、おそらくハンナ・アーレント著の「人間の条件」でも人間の三つの条件である「労働・仕事・活動」が現代社会においては「労働」が重視されすぎていると指摘されているわけだ。

 

そうすると、「人間とは何か」を考えていくと確かに人間的なものの原始的なものは著者が指摘している点などにあるのかもしれないが、ある意味では広がりすぎた集団社会といった枠組みは、増えすぎた人間が「生きていく」ためには必要性に駆られて構築されたものとも言えるのではないかとも思う。

 

ただ、今回はゴリラという社会から人間社会を見たように、こうして外から眺めてみると見落としていたものが見つかるものだ。やっぱり、最終的にはどうすればこのまま人間は「生き残れるか」

これがけっこー重要な気がする。そういった観点からも、やっぱり人間は進化していくのかな。初期人類が「熱帯雨林」から「草原」に出たことで進化したように、人類が「地球」から「宇宙」に出ることで進化するのだろうか

 

ハンナ・アーレントの「人間の条件」でも冒頭でそうした行為は「思考なき被造物」に成り下がっていってしまうのではないかとほんの少しだけ言及しているかと思うが、実際のところどうなるんだろうか。とにかく、科学技術の発展によって現代社会が、詰まるところ一人ひとりの人間が大きな影響を受けているのは言うまでもないだろう。

 

これから人間が向かうべき道筋などあるのだろうか?

このまま「人間」としているのか、それとも「人間」ではなくなっていくのか?

否が応でも世界は進んでいくけども、ただ流されていきたくはないなと思うのだった。


ブログ管理人
としちる

ミスチルと青い鳥が好き。大学生活前半は冊子制作に打ち込むも紆余曲折あって研究者を目指すことに。夢はアカデミーを作ること。研究の狭き道でも生きていくこととやりたいことを両立させるために、サイト運営やライティング、Webデザインといったメディア系スキル・ビジネスのイロハも学んでる。つれづれ“ちる”ままに、時に激しく主にダラダラがモットー。

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