今日は友人同士がお互いの価値観の違いで口論をしているのを傍から見ていました。
そこで、「人は分かり合えない」と思いながらも「分かり合おうとするしかない」という、なんとも言えないアンビバレント(相反すること)な気持ちになったのでそう考えた経緯について語りたいと思います。
今日の結論
分かり合えないことを含めて、分かり合おうとしていくということを大切にする。
口論の概要
まず、どのような口論だったのか簡単に紹介します。
一人は、自らの「正しさ」を信じて他人に同じような価値判断を求めます。
だから日常とは違う行為をすることを強く勧めます。そして、その行為をしなかった人に対し遺憾であることを表明します。
もう一人は、行うべきとする行為の「正しさ」はともかくとしてその価値判断を強要されることに違和感を持ちます。
一方が「正しい」と信じる行為をしないからといって、それをしない人を蔑むのはおかしいのではないか?と。
具体的な内容の言及は避けますが、抽象的に言うとこんな感じの口論でした。
口論に対する自らの見解
ちなみに僕の意見は、自分が勧める行為が本当にいいものだと思いそれを広めたいのであれば、ただそれを表現して見せつければいいと思います。
他人に無理に押し付けることはできません。
なぜなら、根本的に他人は変えられないからです。
変わるのはいつも自分からです。
例え自分が「正しい」とすることであっても、それを人に強要することが「正しいか」といえばまた別の問題になります。
このことを古来から伝わる言葉で表現するとこうなります。
見たのは映画の方ですが、「逆境ナイン」で一番好きなシーンです。笑
そう、「それはそれ。これはこれ。」なのです…!
そういった意味で伝える側の努力が必要でしょう。
実際、友人は伝えたい内容が大切だとして主張したわけですが、結果的に反感を買うことになりました。
それでは本末転倒ではないでしょうか?
僕もこのブログを使って「教養」が大切だとして様々な主張をしています。
ですから、表現の仕方、ブログのデザインといったユーザビリティを大事にしています。
本当はもっと「funny」な表現の方が親しみを持って伝わる部分もあるだろうと思って、そこに関しても努力している最中です。
まだ全然funnyじゃないんですけどね。笑
こうしたことを忘れてはいけないなと改めて思いました。
前提―すべてを分かり合うことはできない
まず前提として必要なのは「人は分かり合えない」ということでしょう。
もっと厳密に言うと、すべてを理解することはできないということです。
さらに言うなら、すべてを理解する必要もないことも付け加えておきたいです。
人は分かり合えないのはなぜ?
もちろん、部分的に別の人の考えに賛同することはできますよね?
この意見には同意できるけど、まだ違和感がある。
逆に言えば、違和感は拭えないけど、方向性の趣旨としては同意できる。
大なり小なり、どこまで意見に同意するかはグラデーションがあるはずです。
ですから、全く人は分かり合えないというわけではない。
人は分かり合えます。
ただし、部分的に。笑
そう、この部分的にということが大切です。
逆に言えば、すべてを理解することは不可能だということです。
何をどうしたらすべてを理解できたと言えるのでしょうか?
今回の口論のケースで考えてみましょう。
まず、この口論はネット上のチャットで行われました。
この時点で、コミュニケーションをすることができるのはそのチャット上に表れる「言葉」にかなり限定されてしまいますよね?
もちろんその会話がされた文脈があるわけですが、どうして挑戦することが「必要」だと思ったか、逆に「挑戦」しなくても良いと思ったかということを理解するには言葉が十分に交わされたかといえば違うでしょう。
仮に長文で書いても、その人がなぜそのように考えたのかといった原因を突き詰めていくとキリがありません。笑
例えば、主張している側が自己啓発本を読んで触発されていて、人にも挑戦を勧めた方がいいと考えたとします。
そこでさらに考えてみると、
なぜその人はそうした本に心動かされたのか?
その本はそもそも「正しい」のか?
といったことは次から次へと疑問が起こってしまいます。
すべてを理解できるということは、その人がこれまで生きてきた全ての思考や行為を理解できるということになります。
そんなことどう考えても不可能ですよね?笑
ですから、全てを分かり合うことなんてできないんです。
至極当然なことかとは思いますがどこか見落とされている視点に思えるのは気のせいでしょうか…

ガンダムでは、エスパーとさえ言える、宇宙に出たことで優れたコミュニケーション能力を獲得した新人類であるニュータイプも結局のところすべてを分かり合えるわけではなく争いを繰り返しますからね…
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伝えたい目的は何?誰に伝えたい?
すべてを分かり合うことが出来なければどうすればいいのか?
まず考えるべきなのは、自分がどうしたいのかということを明確にすることです。
今回の件で考えれば、主張する側が最終的に伝えている側に変わってほしいと思うなら、それ相応にどうすれば伝わるのかということを考えた方がいいでしょう。
大事になってくるのは誰に対して話しているのかということ、そしてその目的は何かということです。
もし内容が分かりづらかったとしても、伝えたい相手が限られている場合、つまり理解してもらえる人に理解してもらえればいいと思うなら無理して表現を変える必要はないでしょう。
哲学や芸術なんかもそういった趣旨で作られてきたものも数多くあるはずです。
そうしたものだからこその価値があることは承知しています。
ただ、もし分かってもらえない人にも理解してもらいたいと思うなら伝える本人が変わらなければいけません。
分かってもらえないからといって、非難することを正当化できないはずです。
それをしたらただの腹いせですからね。
分かってもらえないことを嘆いたり、時には分かってくれない人を攻撃したくなったりすることも時にはあるでしょうが、それでは根本的に解決しません。
もし何かを伝えたいと思うのなら、何を目的に誰に伝えたいのかということを自分に問い詰めなければならないでしょう。
変われるのはいつも自分だけです。どう足掻いても他人を変えることはできません。
それでも、分かってもらえるように自分が変わるしかないのです。
そこで冒頭の今日の結論に至ります。
分かり合えないことを含めて、分かり合おうとしていくことを大切にする。
「可能性の獣」、ユニコーン。
「機動戦士ガンダムUC」では詩人リルケの作品「オルフォイスへのソネット」の一節が引用され、可能性によって育まれ力を得る獣として一角獣(ユニコーン)が登場します。
この作品の主人公「バナージ・リンクス」はユニコーンガンダムに乗り、逆らい難い大人の事情といった現実に「それでも!」と言い、人が持つ内なる可能性を信じ叫び続けます。
僕は自分の主張をできれば多くの人に分かってもらいたいなと思ってこのブログを書き始めました。
また、情報を発信することでなんらかのフィードバックを受け自分の主張を正しくしていきたいとも思っています。
そうした「無知の知」を実践することが僕が考える「教養」です。
「教養」とは実績や知識といった結果ではなく、行動する上での態度の問題だと考えています。
そもそも伝えたい内容とか、伝えるべきなのか否かといった、何が「正しい」のかといった問題もありますけどね。
何をもって「正しい」とするか、何が客観的で論理的なものなのかということです。
この問いかけは「そもそも学問とはなんなのか?」といった話に繋がる面白い(interesting)な話だと思ってます。笑
このことはまた別の機会に!
感想やご意見などもお待ちしております…!
では!
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