ACADEMIC CAMPに関する質問①―教養・地域・学びの場について

クラウドファンディング『これからの大学を考えるため、47都道府県を巡って学び合う仲間を集める旅に出たい!』を読んで頂いた質問。

1.青山さんの考える、教養の定義はなんですか? ミクロな教養、マクロな教養とは具体的にはどんなものを指すのでしょうか?

2.青山さんにとって地方を巡ることの意味とはなんですか? 「地方と大学の関係」にフォーカスするに至った動機などはありますでしょうか?

3-1.青山さんの考える、理想の学びの場とはなんですか?

3-2.開かれていること・自由であることは、必要条件でしょうか?十分条件でしょうか?

3-3.学問と真剣に向き合えるような環境とは具体的にはどんな環境でしょうか?

答えてみましょう!

1. 教養の定義

質問

1.青山さんの考える、教養の定義はなんですか? ミクロな教養、マクロな教養とは具体的にはどんなものを指すのでしょうか?

以下の文からの質問かと思います。

環境的な影響を受けて、それぞれの文化が発達してきたように、抽象的でマクロな視点による「教養」だけではなく、徐々にミクロな生活に着目した「教養」にも目が向くようになっていったんです。

ここで言う「教養」は、(抽象的で学術用語として使う如くのような)マクロな教養から、(暮らし・生活に根ざした)ミクロな教養へという意味合いで使っています。

以前に書いた『思想γ2017―自分らしく生きる原理的考察と他者論』でも述べたように、「自分らしく生きる力」が暫定的な教養の姿と認識しています

もともと、知識や概念だけではなく日々の暮らしにも通じるのが教養だと考えていたのですが、それを自分なりに分かりやすく場合分けして表現したのが「マクロ」と「ミクロ」でした。

2. 地方を巡る意味と動機

質問

2.青山さんにとって地方を巡ることの意味とはなんですか? 「地方と大学の関係」にフォーカスするに至った動機などはありますでしょうか?

地方を巡る意味と「地方と大学の関係」にフォーカスを当てたのは、

  1. 自分の身体で赴き、現地に住む人々と出会い対話すること
  2. 実際にこの目で見て歩いて各地域との関係性を自分の中で作ること
  3. 一重にこれからの「大学」と言っても研究型大学と各地域の特色に応じた大学のあり方があること

です。

今の時代はインターネットを介したコミュニケーションを遠方の方とするのは容易ですが、それで得られることってあまり多くないと思うんです。

時間と労力というコストをかけて、それも全国47都道府県を周るということをすることでまず僕の本気度を知ってもらえること、同時に実際に相手の土壌で顔を合わせて話しをすることでお互いの距離感が縮まるはずだと。

で、僕が大学に対する問題意識を持ったきっかけが大学教育に対する一種の「就職予備校化」だったわけですが、それはやはり僕がとことん突き詰めて考えていきたいという志向性を持っているからだと思ったわけです。ですが、実際、大学と一重に言っても旧帝大と呼ばれるような研究型大学から地域に根づいた大学に私立・公立とさまざまだということも意識するようになっていきました。

そこで、「教養ってなんだ?」「学問ってなんだ?」「大学ってなんだ?」と考えていくようになった僕としても、やはり現地を直接訪れ、現地で学ぶ・活動する方々とお話することが非常に重要だと思った次第です。

なので、「フォーカスを当てている」というと少し語弊があります。どっちかというと、問題意識的に考えざるをえないので今回の企画を通じて学ばせて頂くために地方を周って、なんなら全国各地に似たような問題関心を持つ人を探すことを目的にしています。

3. 学びの場という環境の認識

3.1 理想の学びの場

質問

3-1.青山さんの考える、理想の学びの場とはなんですか?

ちょっと抽象的で答えづらいですが、「理想」と言うなら常にお互いがお互いに学び合える関係性を築ける場を持てることですし、さらにその上でお互いの自由を尊重し合えることでしょうか。

限定した対象があったりすればまた別ですが、ひとまずこのような答えになります。

3.2 開かれた学びの場

質問

3-2.開かれていること・自由であることは、必要条件でしょうか?十分条件でしょうか?

ここも対象が曖昧なのでなんとも答えにくいのですが、ひとまず「開かれている」というのはまだ明かしていない自分なりの学びのサービスを指して使っています。

これはオンラインで学際交流が気軽にできるサービスなんか作れないかなと思っているんですが(もっとちゃんと考えてますがここでは割愛)、あまりそのためにACADEMIC CAMPをやるというよりは、あくまでもそうした方向性に進むためのステップとして人との関係性を紡げるようなイベントを企画しました。

なので、開かれているから自由でもないし、自由だから開かれているというものでもないものです。

3.3 学問を学ぶ場

質問

3-3.学問と真剣に向き合えるような環境とは具体的にはどんな環境でしょうか?

おそらくこの記述からの質問かと思います。

こうした中、大学内部だけでなく外部にも、学問と真剣に向き合えるような環境を作ることが大事だと徐々に認識されるようになってきました。

こうした中というのは、

2001年から行われた大学院重点化政策では多くの定期職につけないポストドクター(ポスドク)問題が叫ばれたり、2004年に始めた国立大学の法人化政策による度重なる改革の中、予算が削減され、さらに講義を受け持つ研究者の方々が減っていっています。

そこに重なるのが、投稿論文数増加の要請や繰り返し行われる大学改革に日々の業務。

それが、今、国立大学の諸先生方が直面している現状です。

のことです。

そして、このような状況の背景には高等教育を受ける人数が50%を越えるような状況や、「失われた20年」と言われるような経済不安(最近は上がっているとは言われてますが)などといったものがあります。

大学改革が叫ばれる中で、2015年には文部科学省の通知に端を発した「人文社会科学系」「教員養成系」の廃止・積極的な転換が求められたことに対する論争も起こりました。

これは必ずしもそうした分野だけではなく、理学分野でも基礎研究に対する意義が理解がされていない言説が囁かれたり、「役に立つ」ものを求められる側面があり、ある程度共通する問題として学問に対する認識に対する問題意識が大きくあります。まぁ、これだけタコツボ化して専門分化される中で領域を越えて学び合うことは難しい側面もありますよね。

使っていることばがまず違いますし、システムとしてもポストを得るために成果を出すためになおさら専門分化の志向性が生まれるのもある程度しかたないことだと思います。

要するに、上手く学際的な学びの場作りというのはできていなく、理想的な状態として言説として問われているだけの側面があるんですよね。

というわけで、既存の大学も衰退していく流れにあるし、上手く学際交流の仕組み化もできていないから、内部から変えるというよりも(制度を変えるのは大変&教育は変革するのが比較的遅い)、外部でも各々の問題意識に応じた研究をしつつも真剣に学び合えるような仕組みづくりができないかと思った次第です。

で、それが3.2の問いで答えたサービスとして少しずつ考えているということにつながってくるというわけです。

おわりに

おそらく、大まかには答えられたんじゃないでしょうか!

バーっと書いてしまいましたが、またこれを読んで改めて質問してくださって構いません!!

ちょっと返事はすぐにとお約束はできないのですが、ちゃんと答えていきたいと思います。

ではでは~!