昨日、世界が激震しました。まさかのイギリスがEU離脱。正直、そのまま残留すると思ってたのでびっくりです。どうなるかはまだ今後の展開を見守るしかありませんが、日本においてもまた選挙が迫ってきております。さまざまな混迷が渦巻く今だからこそ注目したい哲学者、ハンナ・アーレントとユルゲン・ハーバーマスについて簡単にまとめました!
国民投票でイギリスのEU離脱多数という結果
ども!「えっ、イギリス、EUからマジで離脱しちゃうの??」と驚いたとしちる(@ture_tiru)です。
いろんな複合的な要因が折り重なって生まれた結果でしょう。
2つの主な要因を挙げてみると
- 階級問題
- 移民問題
といった感じかと思います。さらに言えばこれら2つの問題に共通しているのは経済的な問題ですよね。
世界経済が大変なことになりましたが、実際どのようにEUの離脱が起こっていくのかはまだまだ不透明です。
他人事ではないので、EUという壮大な政治共同体がどのようになっていくのか注視していきたいと思います。
重要な二人の哲学者
こうした情勢の中、僕の関心もさることながら、今の現実社会において重要だなと思っている哲学者が2人います。
それがハンナ・アーレントとユルゲン・ハーバーマスです。
ハンナ・アーレント―「事実を語ること」の大切さ
20世紀を代表する政治哲学者として有名なハンナ・アーレント(1906-1975)は第二次世界大戦で自身がユダヤ人であることから迫害を経験しながらも、「なぜファシズムが起きたのか?」ということや、「人間とはなにか?」という問いと向き合った人です。
主著は『全体主義の起源』、『人間の条件』。
彼女はアイヒマン論争というユダヤ人を迫害した悪の権化であるアイヒマンを擁護したとみなされ多大な批判を投げかけられますが、彼女は擁護をしたのではなくあくまで冷静に「アイヒマン裁判は反ユダヤ主義の歴史といった見世物であったこと」、「アイヒマンという人物は大量殺戮を犯した極悪人ではなく、ただ上からの支持に従った想像力の欠如した人間だったこと」を指摘したのでした。
いわゆる世間は―特に仲間であるユダヤ人ですが―彼女を非難しましたが、彼女の見抜いたことは間違っていなかったとされています。
実はこの話は映画化されています。
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2014/08/05
ここで一つ言えるのは、多数決が「正しさ」になるわけではないということですよね。
どうしても「世間」という声は時に抑圧的に何かしらの「規範」を押し付けてきますが、「実際に何が起きたのか事実を見極めようとする姿勢」をアーレントから見習いたいと思います。
また、彼女が突き詰めていった公共性という考え方。
これは『人間の条件』で語られるものですが、かつて古代ギリシャのポリスでわけられていた私的領域と公的領域において、人間とは多数の声があってこそあることを重要視し、後者の考え方を強調します。
そうした公共空間はハーバーマスも重視しています。
ハーバーマス―コミュニケーションを行う公共空間を形作る
ユルゲン・ハーバーマス(1929-)もドイツ人ですが、彼はユダヤ人ではありませんでした。そのため、戦争当時はヒトラー・ユーゲントという青年組織に所属していました。
そうしたドイツの情勢下でユダヤ人であり国外逃亡を余儀なくされたホルクハイマーやアドルノらが提唱する批判理論を発展的に受け継いだのがハーバーマスです。
彼はマルクス主義の伝統から端を発した批判理論に固執するのではなく、さまざまな論敵との論争を経ながら多くの考えを取り入れ統合していき、公共性をなによりも重視したコミュニケーション論的展開を提唱しました。
簡単にまとめると、真実性なるものであれ社会的な規範であれ、あくまでコミュニケーションによってなされるというものです。ですから、何が真実であるかよりも、如何にしてそのようなコミュニケーションが確保されたかを重視し評価します。
僕の考え方にかなり近く、ここ数日はハーバーマスの本を読んでいました。
ハーバーマスの考えはいろんな考え方を統合して導き出したものです。
そして現在はポストモダンと呼ばれ、真実なるものには到達できないとされています。
「哲学は死んだ。」
とも言われているようです。
しかし、本当にそれで哲学をやめてしまっていいかは疑問です。
確かに、大きな物語としての哲学は終わったといえるのかもしれません。ですが、あくまで「大きな物語」であって実際に「小さな物語」は今も僕らの目の前で起き続けています。
そもそも哲学はやはり「愛智」が根源ですし、一つの学問で何もかもは説明できやしません。実際に「世界」そのものを見ていくためにはさまざまな角度からの検証が当然必要でしょう。
それらを見極めようとする「態度」こそが、今もっとも必要なものだと思えて僕にはなりません。
まとめ―各々が見極める姿勢を
今回のイギリスの国民投票だけでなく、日本でも参議院選挙が控えています。
どうか、ただのポジショントークとして論「敵」を攻撃するのではなく、「公共」の場としての選挙活動ならびに政治活動をしていただければなと思います。
アーレントのような「ありのままの現実を突き詰め、事実を見極めようとする態度」を、ハーバーマスのような「多様性に基づいた公共的なコミュニケーションとしての議論」がもっと身近なものになれば良いのにな~と思います。
もちろん、彼らがすべて正しいわけでなく問題も残っているわけですが、それはこれからの者が向き合っていくものですし、それに僕は少しでも何か貢献できたらそれでいいかなーと思います。
では~
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