生物多様性って聞くと、大切なもののように思えます。
けど、「なぜ大切なのか?」と問われるとありきたりな答えをすることしか出来ませんでした。
そんな思いのもと、手に取ってみたのがこの本。
この本について
この本は子どもにも分かるように生物多様性の重要性を講演してほしいと依頼され、著者が大学を定年したこともあり、思い切った科学では扱わない「価値」について語った本だそう。
「守るべき」という価値観を科学には持ち込めない?
「生物多様性はなぜ大切なのか?」
という問いかけは同時に「生物多様性は守るべきか否か?」という問いかけも孕んでいます。
この「べき」という考え方は科学的とは言えないと著者。
「守るべき」とはあくまで守る価値があるということ。これは価値の問題であり、科学は価値には口をつぐむものなのです。科学は事実を述べるのみ、価値は取り扱いません。
「価値」を扱う学問はあくまで倫理学の分野となります。
けど、一重に倫理学って言ってもいろんな立場があったそうで困ってしまったそうです。
この本の大前提
そこでこの本は「生物はずっと続くことに至高の価値を置いているものだ」という前提のもとに語られていくことが冒頭で名言されています。
その前提のもと「私」とは何かを考え直したとのこと。
つまり、自分の子供も「私」であるとして「私」の時間的範囲を広げ、また、私のパートナーも私の家も「私」だとして「私」の空間的範囲を広げました。そのような、広がった「私」がどうふるまえばよいのかを考えると、生物多様性は「私」にとって大きな価値があり守るのが自分の為になる、だから守るべきだという結論に達しました。
普遍vs個物
科学っていうとやっぱり「真実」を求めるものですよね。
科学的な「真実」を発見するには「客観的」で「論理的」なものであると。
宇宙に関する学会でこんなことを聞いたそうです。
「生物学は地球という限られた場所に住んでいるものだけを取り扱っている。そういうものには普遍性がない。宇宙に生物がいることを証明してはじめて生物学も普遍的なもの、つまり真の科学になれるのだ。」
やばいですよねこの科学観。
全くもって自分の拠って立つ場所の特殊性を鑑みていないというか、自分自身と科学の限界を知らないというか、よくもまぁ意図も容易く他者も他の学問を軽んじられるなぁと。
いくらでも文句は付けられそうなんですがこの普遍性と個別性の問題というのはなかなか面白い論点を突き付けているように思います。
こうした極端な普遍科学主義者もいれば、自分のことだけしか考えない個人主義者に利己主義者。
両極端のことばかりを重んじて中間のことを無視するのが現代人の一つの特徴なのではないかと著者は指摘しています。
またこの問題こそが生物多様性の大切さを理解しにくくしている最大の要因なのではないかと。
中道の精神で生きていくことが賢い生き方であると冒頭で著者は結びます。
生き方に「正しさ」なんてあるのか?
僕も基本的にそうした著者の価値観に賛同しています。
あるがままのどこか混沌とした世界を生きていくには、自分自身の不完全さを認めて中道をいくしかないのではないかと。
が、実際ここに問題がないわけでもないのが難しいところです。
「答え」はないのではなく「問」が間違っているのではないか?
「絶対」なんてものは何一つなくすべては「相対」なのか?
不完全であるからこそ極端を標榜して生きることこそがもしかしたら中道なのかもしれない…
人生に答えなんて求めるべきじゃないと思うんですけどね。
少なくとも「結果」ではなく「過程」にこそ本当の価値というか意味があるのではないかと。
だとしたら、どうやってその「過程」を重んじていくかという問題になりますが、まぁ結局「今」やれることをやるしかないですよね。
話が逸れてしまった気がするので今回はこの辺で。
では!