ソーシャルメディア時代/ポスト近代に向かう中での批判的研究とはなんなのだろうか?

つぶやきによる雑感

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批判的研究の意義を再コンテクスト化させる?

再帰的近代として個人化が進んだ時代というふうに言われているが、3.11以降の昨今の“自由なライフスタイルの追求”“ブロックチェーンといったニューテクノロジー”の進展が、相重なりつつ、もはやポスト再帰的近代として、個人化からの小コミュニティ化が進んでいるように感じる。 小コミュニティは以前のような”場”に閉ざされた「村」ではなく、興味関心や性格の合う人同士の結びつきが、日本の文脈でいうと地方創生的な流れとも相まって強まっている。 それ自体は良い面も当然あるが、ナショナリズム的な言説も相変わらずソーシャルメディアに垂れ流される中で、文系廃止論が出回ることや科研費騒動を見ていると、大きく言えば「学問の意義」や「知性」がおざなりにされてもしょうがないという風潮が形成されている、ように感じる。 そんな中での、人文社会科学系の学問、とりわけコミュニケーション研究の中でも批判的研究を行うことはどういう意味を再コンテクスト化させられるのか? これは、真剣に考える必要があると思う。]]>