「理性」「知性」「感性」の限界はあるのか?
それぞれ様々な学者や~主義者、学生やアスリートなどの一般人を交えたシンポジウム形式で議論を交えながらそれぞれの限界について学問的な見地からどのようなことが言えるのか?
といったことを個性豊かな登場人物により明らかにされていく著作です。
本の概要
この本は勉強に対するスイッチが入ってから一番おもしろかったです!
ただ単に知識や学者の略歴が述べられているだけではなく、本当に様々な登場人物たちがそれぞれの視点から「限界」について議論したり、時に専門家が話をリードしていくので、話の内容が分かりやすい。
そして、何より一つの視野に縛られることなく内容を読み進めることができるので、「知的好奇心」が非常に刺激されました。
この本で述べられていることをもっと早く知っていれば、もっと理系分野のことも好きになっていた気がします。笑
ゲーデルの不完全性定理やファイヤアーベントの方法論的虚無主義なんかめちゃくちゃ面白かった!
自然数で自然数を証明することができない?
科学の発展のためには方法なんてものは「なんでもいい」?
最も不合理的な判断が最も合理的な判断になりうる?
こんな内容が書かれています。
方法論的虚無主義-なんでもいい論
特に価値観を揺さぶったのは、ファイヤアーベントの方法論的虚無主義です。
この本を書いた人なのですが、彼はいわゆる科学哲学者で、「量子力学」を学んでいた人だそうです。
量子力学の世界というのは、もはや一種のフィクションと思えるような内容です。というのも、月を見ていない時には月は存在していないと言っているんですから…笑
世界一美しい実験にも選ばれた「二重スリット実験」なんかを検索して調べてもらえるとそうした物理学の摩訶不思議な世界を垣間見ることができると思います。
さて、「方法論的虚無主義」なんて聞くと「虚無」という言葉からマイナスなイメージが湧くかもしれませんが、そんなこともないのではと思ってきました。だって、例え「限界」があるからって諦めてしまったらそれこそ「虚無」的じゃないですか。「限界」を提示するこの本に対してむしろこの方法論的虚無主義は「可能性」や「希望」を提示しているとも捉えられると思うんですよね。
ファイヤアーベントが言ったことは、要するに科学の発展のためには方法論なんて「なんでもいい(anything goes)」ということです。どういうことかと言うと、科学の世界というのは科学史的に見ると様々なパラダイムシフトを起こして科学が発展してきました。それは天動説から地動説や、ニュートン力学から相対性理論への展開といったようなことです。しかし、科学の世界ではそのようなコペルニクス的転回が起こるとき、大抵信じられません。ガリレオが地動説を致し方なく撤回した時も「それでも地球は回っている」といった言葉は有名でしょう。
相対性理論から超弦理論へのパラダイムシフトが起こっていったような時も、超弦理論は仮説であり、主流な考え方ではありませんでした。しかし、実証されるようなデータや計算の登場により、超弦理論は物理学における最新の理論の一つになりました。
こうした科学の発展は自由な考え方から生まれた。
ですから、ファイヤアーベントは「なんでもいい」と言ったそうです。
(『方法への挑戦』を理解するには量子力学の知識がいるそうです…)
いやー、めちゃくちゃな理論ではあるなと思いましたけど、正直この人の考え方に触れた時に笑ってしまいました。笑
これって、科学の世界だけの話でもないと思えたんですよね。
学問も「真理」を追い求めて探求していくわけですけど、問いから辿り着いた答えの多くは結局のところそれぞれの「前提」によって異なることが多い気がするんです。求める「答え」とそれに応じた「問い」によって、見えている世界が違うんですよね。当たり前っちゃ当たり前ですけど。
そうした人々の様々な多様性によって、人類は進歩しているとも言えるのではないでしょうか?つまり、「陰陽思想」みたいにどっちも必要なんですよね結局。そうやって考えていくと、何が正しいかってことよりも何に魅力を感じるのか?ってことの方が個人にとって大事な気がしてきました。
けど、そんなことすらも「なんでもいい」んですかね。笑
この考え方に出会って少し肩の力が抜けました。
「なんでもいい」からって探求する心は失っていないつもりですし、より前向きな気持ちになれた気がします。
「それはそれ。これはこれ。」の精神で時に熱く、時にゆらりくらりと過ごしていきたいなぁ。
では!
※ 追記(2016年3月31日)
1年経った今は少し考え方が変わってきました。
ひとまず、ここに昨今の思想はまとめています。
