【ニューアルバム】Mr.Children『重力と呼吸』ファーストインプレッション―「居場所」と「自己」への回帰

散る、咲く「花」に込められたメッセージの歌詞考察―Mr.Children『花~Mémento-Mori~』

ため息色した通い慣れた道
人混みの中へ 吸い込まれていく
消えてった小さな夢をなんとなくね 数えて

「ため息色した」という冒頭の歌詞から、どんよりと自分が見ている視界が霞んで見える、そんな世界観にすぐさま引き込まれてしまいます。それがMr.Children『花~Mémento-Mori』。

「Mémento-Mori」とは、日本語では「死を想え」と訳されることば。

そんな重々しい楽曲『花~Mémento-Mori~』は別アレンジ『花』もあるのですが、この曲の歌詞には「花」をモチーフにした二面性がテーマとなっていると僕は睨んでいます。

としちる

とまぁ、落ち込んでいる時に暗い曲を聞くのはかえって元気になるというのが僕の持論なので、気分が重い人ほどぜひ聞いてほしいミスチル曲ベスト3に入るからぜひ聴き込んで抱えた思いをぶっ放してほしいと思ってるよっ!

Mr.Children『花~Mémento-Mori~』とは

『花~Mémento-Mori~』はMr.Children 11thシングルで1996年4月10日に発売されました。1曲のみの収録だったようで500円で販売されたそうですが、発売後2ヶ月後には話題を呼んだアルバム『深海』がリリースされます。

いわゆるミスチル暗黒期とも呼べる(僕の中では黄金期)楽曲が勢揃いする中でも「Mémento-Mori(死を想え)」なんて特に印象的で強烈なメッセージを醸し出す楽曲と言えるでしょう。

ですが、20thシングルの『優しい歌』というある意味では対照的なシングル曲のB面に収録されたリメイクバージョンには『花』だけになり、「Mémento-Mori」のことばは消えてしまいました。

一体全体、どんなメッセージを読み取れるのか。歌詞を引きつつ、一歩一歩考えてみましょう。

ざっくりまとめるとこんな歌詞!

『花~Mémento-Mori~』の歌詞、その中でも「花」というタイトルとして中心にあることばを紐解くことで、その明暗という二重性が顕になるはずです。つまり、「咲く/散る」という花の持つ特徴を用いて「生と死」という循環・輪廻を考えることが根本にあるテーマとなっている歌詞だと僕は解釈しています。

百聞は一見にしかず、まずはちょっと歌詞を見つつじっくり聞いてみてください。

参考 花~Mémento-Mori~J-Lyric.net

▼花 -Mémento-Mori- / Mr.Children

歌詞―『花~Mémento-Mori~』

冒頭Aメロの「ため息色した通い慣れた道」は、Bメロでサビ前にこう歌われます。

同年代の友人達が家族を築いていく
人生観は様々 そう誰もが知ってる
悲しみをまた優しさに変えながら 生きてく

めっちゃ染みませんかここ…僕はこの記事を書いている現時点(18年8月)で25になってしまっているんですが、確かにちょくちょく友人達の中で新しい「家族」が築かれている中で、また生きている胸の内の「悲しみ」を「優しさ」に変えていくんですよ…えぇ、ある意味では自分を守るために…

ここでいう「悲しみ」とは必ずしも「家族を築けない」ことではないとよく考えています。なぜ優しさに変わるのでしょうか?思うに、友人達の家族を「羨ましい」とまなざしものというよりも「人生観は様々」という点において、「悲しみをまた優しさ」に変えていくのではないかと。

だって、「人生観は様々」と分かっているわけなんですけど、それでも「同年代の友人達が家族を築いていく」ことには反応してしまうし、「消えてった小さな夢」をふいに数えてしまうなんていう、過去を思い返すというある種の妬ましさは残っていることを自覚してもいるんですよ。

だから「人生観は様々」ということを認知していることがもうすでにそこで「悲しみを優しさに変えながら生きてく」ことを意味していると歌っているわけです。

いやぁ、深い。もう冒頭でめちゃめちゃ深い。

そして、サビです。

負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に迷うときは風を集めて空に放つよ今

そう、ここで一気に踏ん張って、溜め込んで、思いを前にし、上に向かってただただ解き放つ!

このAメロとBメロからのサビに至る流れと思いの吐き出し方が『花』はとても気持ちいいんです。

2番では「恋愛観や感情論で愛は語れない」「この想いが消えぬように そっと祈るだけ」という興味深い歌詞があるのですが、ここではカットして、大サビ前のCメロへ。

やがて散りゆく運命であっても Oh Hey
わかってんだよ 多少リスクを背負っても
手にしたい 愛・愛

曲を聞いてもらえばわかるのですが、ここかなりボルテージが上がって叫ぶ箇所です。

理知的に「散りゆく運命」であることをわかっていても、むき出しの感情でリスクを背負う覚悟を持って「愛」を手にしたい、それも「恋愛観」や「感情論」では語れないと悟ったようなこと言っておきながら、“それでも”と叫ぶんです!

2番のサビでは「等身大の自分だってきっと愛せる」と歌うように、周りと比べてそれとなく自分を卑下しているのにも関わらず、”それでも”と手をのばす。

そして、大サビでは1番のサビを繰り返しつつ最後に「心の中に永久なる花を咲かそう」と閉じられていきます。「ため息色した道」から最終的には「花を咲かそう」という、いかにも前向きな思いに解き放たれていく、そんなプロセスを『花~Mémento-Mori~』では味わうことができます。

応援歌なのか、愛を歌う曲なのか、いまいち振り返ってみるとピンとくる気がしないようには思えないでしょうか?というわけで、そもそも「花」とは何の象徴なのかについて考え、より曲の深部を覗いてみましょう。

考察―「花」は何を意味しているのか?

「花」とは「咲く/散る」というイメージを喚起するものであり、それが「生と死」を表しているのだということは、パッと連想することができるでしょう。「花は咲く(栄える象徴)」であり、「花は散る(儚い象徴)」という二重性があり、まさに「Mémento-Mori(死を想え)」にふさわしい概念です。

「花とは何か」を考えるに当たって、重要なのが大サビにある「永久なる花」が何を指すのかを考えることだと思うのです。というのも、「咲く→散る」という風に捉えるといずれ「消えゆくもの」になってしまいますが、「散る→咲く」という循環で捉えればまた大きく異なります。循環として成り立つためには、そもそも花として存在するためには何かしらの「土壌」が必要です。つまり、「土壌」とは”どこか”を考えることで「花とはなにか」が見えてくると思うのです。

歌詞では、冒頭からもたびたび「愛」が主題として語られてきました。あの恋愛観や感情論では語れない、「等身大の自分だって愛せる」の「愛」です。こうした言及からも、歌詞で語られる「愛」は単なる色恋のものではなく、「等身大」、つまりは「自分」という存在というアイデンティティーまでを含めた愛というものなのではないかと。

2番にて愛という想いに「消えぬようにそっと祈るだけ」とし、「甘えぬように 寄り添うように 孤独を分け合うように」と歌うことからも、あくまで「自分」という主体から抜けきらない愛を語り通しています。

この考え方は10thシングル『名もなき詩』の「自分という檻の中でもがいているなら僕だってそうなんだ」という歌詞ともリンクするものです。歌詞を作曲した当時の桜井さんは「不倫騒動」で一面的には自身が招いたとはいえ矢面に立ちながら様々な葛藤を抱えていたことでしょう。そうしたことからも、『花』においても、あくまで「自分」という葛藤する存在からの「愛」というものを考えていたと読み取ることができるはずです。

ミスチル『名もなき詩』に込められた愛を考える―あるがままに生きる困難さと慈しみ

つまり、「永久なる花」を成り立たせるのはあくまでも自分という存在にであり、それこそが花の「咲く→散る」「散る→咲く」という循環を成り立たせている土壌だと言えるのではないでしょうか?

一見、「恋愛曲」なのか「応援歌」なのか分かりにくいのは、複雑な「花」の概念の拠り所にこそあると言えるかもしれません。よく考えてみると、花は種子植物でいう生殖器官の存在ですね。ここでもう一度サビの箇所を見てみましょう。

負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に迷うときは風を集めて空に放つよ今

「花」というのは種を持って命紡ぐ媒介なのであり、それを空に向けて放つこと、つまりここでは「生への躍動」を意味しているのだと解釈しています。

ここでさらにもう一度、「甘えぬように 寄り添うように 孤独を分け合うように」という箇所を読むと、愛というものは恋愛観や感情論では語れない、また想いが消えるように「そっと祈る」ものであり、かつ“分け合う”ものだという風に読み取れます。

確かに、「自分」という存在は「個」としてあるように思えるわけですが、生の循環を紡ぐということは必ずしもわかりやすい「個」を描くのではなく、むしろその”分け合う”ことの循環を生む媒介でもあるわけです。何が言いたいかというと、愛を考えることはわかりやすい別個の「個人」を考えるだけでは捉えきれない、伝播されていくものだと捉えている側面も読み取れます。

おわりに

「Mémento-Mori」は「死を想え」という訳語がよく用いられますが、もう少し噛み砕くと「自分が死ぬことを忘れるな」という意味の警句です。芸術作品などに古くからキリスト教文化の中で用いられてきた概念であったわけであり、具体例を挙げると、墓石とか時計も「Mémento-Mori」を示すものです。

「Mémento-Mori」は「いつも栄花であるとは言えないことを思い知れ」ということを示す一方で、「carpe diem(今を楽しめ)」という趣旨でも用いられていた時代があったようです。

つまり、戒めのことばではなく「生きる」ことを味わうことばとしても捉えることができることばでもあったわけです。

そう考えますと、『花~Mémento-Mori~』とリメイクバージョンの『花』は一見まったく違うようで、同じことを別の角度からしっかり描いている曲だと捉えられます。

さすがに「死を想え」というだけあって、相当味わい深い楽曲であることは間違いないでしょう。

静かにけど激しく底から何かのエネルギーが湧き上がってくる曲ですので、ぜひじっくり聴いてみてくださいね!