今は名もなき浪人生に捧ぐ。
空の向こう
僕が20歳になった時。僕は何者でもなかった。
それは今でもそう大して変わらないけど、あの頃は何もなかった。
僕は2浪して大学に合格した。
だから、途中で「おじさん」なんて呼ばれてしまうようになる。
僕はもちろん笑ってそんな呼びかけに答えていた。
だけど、笑えるのもやっぱり大学に合格することが出来たからだと思う。
僕は中学校の頃に勢いで生徒会長になった。
大して真面目でも特段勉強ができるわけじゃなかったけど、それなりに上手く役目を務めたと思う。
朝は苦手なので毎日行っていた朝の挨拶運動には毎回遅れていたし、廊下をかけづり回っていたけども。
「成人式の役員をやってくれないか?」
と聞かれた時は、ちょっと躊躇したけどやることにした。
なんとなくやらなかったら逃げるみたいで嫌だったからだ。
やるならてっぺんを目指すみたいな思考がサッカーのコーチから植え付けられていたこともあって、成人の言葉を言ってみたいとすら思った。
けど、最初の集まりが模試と被っていて行けずに結局ただのお手伝いをするに終わった。
だけど、代わりに言葉を述べたやつの話が大したことなかったことだけは覚えている。
そんな成人式があったのはセンター試験の一週間前だった。
もはや今更何を足掻いてもと思い、ほとんど気にしてなかったがちょこっと心配されて後はそこそこ笑っていた。
僕は今こうして無事に第1志望の大学に受かり、それなりに憧れていた留学も経験させてもらっているけど、3年前の僕は今自分がこんなことをしているなんてとても想像してやしなかった。
大学にも慣れ、思いっきり遊んでいた2年前の僕は前日に運転免許を獲得し同期と温泉旅行に行っていた。
1年前の僕は自分の本当にやりたいことと、この先の進路ことで逆に築いてきた人間関係、組織との関わりも相まって散々と苦しみ悩みながらもなんとか一つの方向性を見出しつつあるときだった。
今、こうして3年前を改めて振り返ると不思議な気持ちがする。
センター試験の結果も目標としていたものには届かなかった。
判定は「C」。
高校のサッカー部の監督には
「お前、悪いことは言わないから志望を下げた方がいいんじゃないか?大学生になっておいた方がいいぞ。」
と心配された。
が、僕はもう覚悟を決めていたので第1志望を受験し結果として合格を勝ち取る。
その監督にはこの会話の2年前に僕が進路を変え部を辞めると告げた時には
「お前には芯がない。」
と吐き捨てられたが、最終的には握手を交わし僕が内心で勝ち誇っていたのは内緒である。
僕が今のような思いを抱いたのも中学3年生の頃から変わらない。
中学1年生には高校を決めて、受からないと言われたけどそれも受かったし、大学も中学3年生の時には決めて学部は変われど結果的には志望校通りのところに進学した。
中学生の時にその思いを告げ親しかった塾の講師の人にも
「tiruちゃん(仮)には無理だよ~」
と笑いながら言われたのを鮮明に覚えており、今となってはどや顔を見せつけてやりたいのだが、今はもうその塾はなくなってしまった。
この文章を願わくば見てくれていたらうれしいと思う。
年月は過ぎるし、明日どうなっているのかも今自分がどんな状態なのかも実のところ良く分からない。
たぶん分かっている人なんてほとんどいない。
僕が3年前に第1志望に向けて最後の追い込みをしていく時にも、途中の1月終盤から二次試験までの1ヵ月が一番辛かった。
とにかく自分がまだ何も知らないじゃないかって思うほどまだまだ勉強することが見つかったからだ。
他にもいろんな理由があるとは思うが、とにかく3年間も勉強し続けた自分を信じられなかった。
そうしてスッキリしないまま迎えた受験日当日だったが、良くも悪くもないという謎の手ごたえしか残らなかった。
だけど、受かった。
最後の受験だと決めていたので僕は大学に発表を見に行ったのだが、ちゃんと番号があった。
高校に受かった時も信じられなかったが、今回も信じられなかった。
高校で論述指導をしてくれていた先生にそのまま報告しに行ったら泣いてくれた。
その時は泣かなかったし元から感動して泣くような人間ではないという自覚があったけど、たぶんこの時から「戦う」美しい姿を見ると感動してちょこっと涙もろくなったと思う。
今、宅浪している人でも現役の人でも結果はやったならついてくる。
それは単純に勉強した「時間」だとか、こなした参考書や授業の「数」が問題ではないけど、間違いなくやったなら結果はついてくる。
誰が何と言おうと、自分がたとえ信じていなかったとしてもそうなのだと思う。
それが、現実だ。
良くも悪くも現実は決して裏切らない。
それが事実としてただこの世界をどこか支配している。
だから、最後は「神まかせ」だ。
結局、明日のことなんて誰も分からない。
「今」を生きるしか僕らに残された道はない。