【ニューアルバム】Mr.Children『重力と呼吸』ファーストインプレッション―「居場所」と「自己」への回帰

ジェットコースターみたいに絶望と希望を味わうーMr.Children『NOT FOUND』

生きる中ではさまざまな喜怒哀楽を味わい、時に喜びに満ちる時もあれば、いったいぜんたいどうしたらいいんだと途方に暮れることもあります。

人生は楽しいのか?

それとも、

人生は辛いものなのか?

ふとしたきっかけで、自分が置いていた足場に実は確かなものなんてなかったんだと浸ってしまうこともあるでしょう。

大なり小なり、そうした思いにかられた時、僕がふと聴き入りたくなる曲、それが『NOT FOUND』です。

Mr.Children『NOT FOUND』とは

Mr.Childrenことミスチルの19作目のシングル曲としてリリースされたのが『NOT FOUND』。

2000年8月9日に発売され、作曲者である桜井和寿さんは「この曲のために活動を続けてきた」と言うほどだったそう。

アルバムでは『Q』、ベストアルバムでも『1996-2000』に収録されました。

このアルバムアートで蜂の巣が描かれているのは、「”蜜(みつ)”が”空(から)”で”無い”」「見つからない」というダジャレだそうですが、真偽は不明。

「NOT FOUND」と聞くとWeb関連に一定程度精通している人なら、WebページのURLへのリンクが切れているときに表示される”NOT FOUND”を思い浮かべますよね。

これ、暗に引っ掛けている歌詞があるので、そこも意識されているかもしれません。

ちょっとひねた「ことば遊び」にミスチルらしさが現れていますね!

ざっくりとまとめるとこんな歌詞!

タイトルが示すように、「見つからない」もどかしさを叫ぶ楽曲となっています。

ですが、ただの「もどかしさ」ではないのです。

詳しくは後述していきますが、一見すると「僕と君」という「愛」に関する「もどかしさ」がテーマのようにも思えるんですが、その日常で感じるような「もどかしさ」からもっと抽象的で普遍的な「人間が生きる上での苦悩と可能性」を叫ぶ歌だと僕は思うのです。

参考 Mr.Children NOT FOUND 歌詞J-Lyric

▼Mr.Children「NOT FOUND」Mr.Children[(an imitation) blood orange]Tour

歌詞

僕はつい見えもしないものに頼って逃げる
君はすぐ形で示してほしいとごねる

矛盾しあった幾つものことが正しさを主張しているよ
愛するって奥が深いんだなぁ

最初から、「僕は逃げる」「君はごねる」という、日常の中で不意に訪れる不和が提示されます。

続いてすぐにサビへ!

あぁ何処まで行けば解りあえるのだろう?
歌や詩になれない この感情と苦悩
君に触れていたい 痛みすら伴い歯痒くとも
切なくとも 微笑みを 微笑みを

このAメロからすぐにサビに入るテンポの良さも気持ちいい!

2番の歌詞も同じようにAメロからサビへと展開し、すぐにCメロへと進みます。

昨日探し当てた場所に

今日もジャンプしてみるけれど

なぜか NOT FOUND 今日は NOT FOUND

ここ…このCメロが僕はめちゃくちゃ好きなんです。

「昨日は思い至ってもやもやしたものが晴れたぞ!」って分かった気になったところで、ふと気づくと「分からない…」となる感覚、なんでなのか分からないけど分かってた”はず”だったことに気づいてしまって、「なぜなんだ…」となるのはとてもとても共感してしまうんです。

例えば、これまで一生懸命積み重ねてきたことがあって、その経験や知識、論理を疑ってきたことさえなかったのに、なぜかある時、「あれ?もしかして自分が信じてきたことって全然、確かなものじゃなかったんだ」と気づいてしまうわけですよ。

これはもう、「哲学」を学んでいるとき、哲学的に考えていくとき、「なぜなのか?」と気づいてしまったら、または文学で語られてきたことなんて単なる「物語」だと思ってたはずなのに、リアルに自分の身に”なにか”が降り掛かってしまったら…

そう、「昨日探し当てた場所にはなにもない」って感覚、「なぜかNOT FOUND~!」って思いがこみ上げてくるんです。

ついつい熱くなってしまいましたが、Cメロはまさに「NOT FOUND」を表すことばを前振りに大サビへと向かいます。

ジェットコースターみたいに浮き沈み

もうこれね!ほんと日常の人間関係もそうだし、世界で起きている出来事から、抽象的な哲学を考えることに至るまで、あまりにもいろんなことが目について、ついついジェットコースターみたいに浮かんでは沈んでしまう!

あぁ、なんて生きるってことは大変なんだ…

あぁ 何処まで行けば辿り着けるのだろう?
目の前に積まれた この絶望と希望
君に触れていたい 痛みすら伴い歯痒くとも
切なくとも 微笑みを
微笑みを もう一度 微笑みを

考察:いったい何が「NOT FOUND」なのか

冒頭では「僕は逃げる」「君はごねる」と男女が対比されているように見えたり、サビ手前では1番では「愛の奥深さ≒難しさ」2番では「愛という嘘≒優しさ、慰め」などが暗喩されているようにも見えます。

ですが、注目したいのは明らかに「男女」が登場していないことなんです。

確かに歌詞の中心は「男女を引き合いに出したもどかしさ」が散りばめられているのですが、明確には「男女の問題としての”NOT FOUND”」とは語られていない、ということはつまり、これは単なる「男女」における「NOT FOUND」ではないと僕は捉えています。

では何が「NOT FOUND」なのか。

それは、「生きる道筋」のことだと思うのです。

ボーカルであり作詞を担う桜井さんは1996年に発売した5作目のアルバム『深海』で自身の不倫騒動などから後ろ向きで暗い底に沈むような楽曲を作っていました。

6作目のアルバム『BOLERO』は『深海』以前に制作・発表されていた楽曲がほとんどで、7作目のアルバム『DISCORVERY』の間には活動休止期間が含まれています。

『DISCORVERY』は、『深海』で沈んだ気持ちから、まるで浮上してくるような暗いところから明るいところへと徐々に向かっていくテーマだと言えるでしょう。

そして、1999年2月に出された『DISCORVERY』から、2000年1月発売の18作目のシングル『口笛』を挟んで2000年8月にリリースされたのが『NOT FOUND』に当たるのです。

まとめると、桜井さんは『NOT FOUND』をリリースするに至るまで、『深海』の前後では「ミスチル現象」と言わしめるほどのミュージシャンとしての絶頂と、不倫騒動に端を発する人生の暗闇を味わうという、まさに「ジェットコースターみたいに浮き沈み」な人生を歩んでいたわけです。

「歌や詞になれないこの感情と苦悩」
「過去の自分に向けたこの後悔と憎悪」
「目の前に積まれたこの絶望と希望」

サビの2節で叫ばれる声になりきれない叫び。

「何処まで行けば解りあえるのだろう?」
「あとどのくらいすれば忘れられんのだろう?」
「何処まで行けば辿り着けるのだろう?」

そう歌い上げるように、何度も何度も考え、後悔もしてきた、少しずつ前に進もうともがいてきた、だからこそ「もう一度」「微笑み」をと叫ぶ。

そもそもCメロの「昨日探し当てた」と歌われる「昨日」とは何を指すのでしょうか?

これはまさしく、それまで苦悩を味わってきたなかで、ちょっとでも前を向いたときが「昨日」なのであり、だけどもまたしても「今日」という
“今ここ”においてはまた分からなくなってしまうことを指していると僕は捉えています。

つまり、歌詞では日常の男女のもつれや愛の困難さといったややありきたりなところから始まり、それらをもっと普遍的な「生きる上での道筋が”見つからない”(NOT FOUND)」へと昇華していっているのです。

15作目のシングル『終わりなき旅』でも「生きる為のレシピなんてないさ」という歌詞とも繋がる意味が付与されていると思っています。

おわりに

いつも通り、あくまでも歌詞の解釈は「これが正解だ!」と言えるものではありません。

が、「解釈」の妥当性や説得性というものは、さまざまな社会状況や知識・論理や哲学と相まって、高められるとは思っています。

『NOT FOUND』もありふれていて、誰しもに起こりうる日常から、より普遍的な次元に広がるミスチルの楽曲の代表作だと勝手に思ってまして、「絶望と希望」を考える苦悩を歌い上げる非常に僕好みの曲!

収録されているアルバム『Q』は『DISCOVERY』以上に、前期と後期のちょうど中間に位置づけられるアルバムで、『NOT FOUND』をはじめとして、ロックでもポップでもない、絶妙なバランス感のある作品です。

何度も聞いているうちに味わい深く思える、アルバム。

Amazon musicをはじめとしたサブスクリプションについにミスチルが登場したということで、ぜひ聞いてみて頂ければと思います!