更新:教養系ラジオStudy Talk vol.1~vol.3―うなずき合いと訣れて語り合いを紡ぐ

古典的な教養はもう古いから新しい教養を考えていこう

「教養」という言葉を聞いた時に思い浮かべるもの。

教育、教育、古典、自由七科、啓蒙、教養主義、芸術、スポーツ、エリート etc.

いろいろあると思うけど、どれも今となって歴史的に形作られた濃い「イデオロギー」が漂ってしまっているように思います。

いわゆる「知識」があることや「古典」を読みふけっていることが「教養」と語られてしまうことはもう古いんじゃないでしょうか?

僕は新しい教養を考えていきたいし、できることなら指し示していきたいと思って日々生きています。

なぜ教養は古びれてしまったのか?

新しい教養というからには古い教養について、線引をしていくことが必要でしょう。

『移りゆく「教養」』という本を今日読みました。

基本的にこの本で語られている内容は「古典的な教養」についてです。

つまり20世紀においては「教養」が外部の現実世界に対してみずからの価値を主張するという問題の前に、そもそも、「教養」を下支えする学問としての人文学じたいが、専門分化を通じて、一般人に近づきがたいようなものに変貌してしまった。

これを僕なりに解釈してまとめるとこういうことなのだと思います。

これまでは欧米諸国的な大学制度や学問を日本に輸入してきた中で、最初は大学に入れること自体がエリートの象徴でした。

けれど、戦後において高度経済成長時代に「敗戦国日本」を復興させていく上でも、もっともっと高等教育を充実させていく必要があったと。

それで、ガンガンと成長もしたし大学に入る学生の数も増えていったけど、いざ、経済成長も停滞し、社会構造も変化していく中で「教育機関」としての大学に求められる質も変化していったというのは、たぶんみなさん感じることでしょう。

大学と一重に言ってもまちまちで、同じ大学内でも当然学部によってもまちまち、さらにその中の個人によってまちまち。

そんな当たり前のことが、社会的・経済的変化の中で当初の大学像と世間での大学像にすれ違うが起きているように考えています。

さらには、インターネットの登場により、今までよりも可視化された大学の現状というものが多くの人に目に見えるようになってしまった。

そこで、個々人が生きる上で必要な経済性やそれを生み出すための専門性といった能力と理想的な姿である「教養」のあり方はすれ違って当然だと言えるのではないでしょうか?

新しい教養を求めて

そろそろ、新しい教養について、新しい大学のあり方や学問との携わり方が示されてきても良い頃合いだと思うんです。

ちょっと勉強された方なら分かると思いますが、まだ伝統的なイデオロギーに引きずられて、

「今何が起きているのか?」

「これから何が起こりうるのか?」

ということにどこか目をつぶってしまっている人が多いように感じています。

技術的な革新がさらに発展してきた中で、当然その背景には資本主義がその発展を支えている中で、これまでと異なる「教養像」が露わになってきていますよね。

例えば、『魔法の世紀』で語られる「デジタルネイチャー」なる世界観。

これからプロセッサの進化などがどれだけ進んでいくのかという問題なども技術発展にはあるし、デジタルネイチャー的な世界に進むためには資本との関係も切っては切り離せないといった問題もないわけではないわけです。

ですが、技術を用いて思想的な側面にも言及していくような、そんな世界を無理矢理にでも作っていく気概を持った若手研究者として落合陽一さんがいるのだと見ています。

他にも、ロボット工学で世界的に知られるアンドロイドを作って「人とは何か?」を突き止めようとする石黒浩さんもいるし、IPS細胞といったバイオテクノロジーの発展は「どこまで生命として捉えるのか?」といった問題なども浮き彫りになってきています。

ただの人文学的な、いわゆる啓蒙主義的な言及にするのではなく、

かといって技術偏重に陥りきるのでもなく、

理想論としての「古典的な教養」を叫ぶのではない、

経済的な問題・政治的な問題といった生の現実とも向き合った、

それでいてテクノロジーの発展を通して「未来」を見据えた、

そんな「新しい教養」を模索していくこと、問いていくことが重要になってくるのではないでしょうか!

 

ここには一種の「教養」が重要だとする価値観があると自覚しています。

僕はこれまで勉強を重ねる中で、大学や学問について考える中で、やっぱりそれらは突き詰めた上でとても重要なことを学ばしてくれると思っているんです。

ここまで「古典的な教養」についてあれこれ批判しておいて難ですが、『これが「教養」だ』によると、元をたどれば、今のところは教養とは「公共圏と私生活圏を統合する生活の能力」だそう。

個人的にこの定義が一番しっくりきてます。

要するに、「さまざまな立場に揺られながら過ごす生活の中で自分らしく生きること」が「教養」だったのだと著者は述べていました。

これって、やっぱりみんなに関係することだと僕は思うわけです。

だから、教養を考えるということはとても重要なことのはずでしょう。なんせ、自らを自由にしてくれるですから。

そして、同時に人の欲望として何よりも大事なのが「自由」への欲求であり、それゆえに「自由の相互承認」をするという苫野一徳さんの哲学に僕は同意しているところです。

【哲学・教育学】苫野一徳さん講演『哲学的思考とは何か?』に参加したので概要と感想

だから、「教養」を問うていくし広めたいとも思うけど、それでいて押し付けはしない

そういうスタンスを僕は貫いていきたいと思っています。

こうした思いや考え、知識については僕が創設した『入門学術メディア Share Study』にて体系的に示していく予定です。

メンバーと徐々に活動を広げています。

ワクワクすること、それでいて良いことをやっていくさまざまなプロジェクト!

徐々に考えてます。

ではでは!