この間、悩みというか気になっていることがあってこんな記事を書きました。

ですが、実は非常に表層的な悩みで本当はもっと気になっていることがあります。
本当の悩み
実のところの悩みは「将来、お金を稼いで生きていけるか?」ということです。
僕はあんまりお金には執着しているつもりはないんです。
というとじゃあなんでそんな心配をしているかって突っ込まれちゃいそうなんですけど、「まぁそんなになくてもいいかな」とか「別に特段お金持ちになりたいわけじゃないな」とは思うんです。
お金を稼ぐというのは対価に何かをするための手段ですから、大事になるのは「どんな目的を持つのか?」ってことだと思うんですね。
じゃあ、今僕はどんな目的を持っているかって言うとやっぱり「教養」を広めたいんです。
と何度もこのブログでは言ってきたのですが、実はいうとこれもまだ表層的で僕がやりたいことというか求めていることってのはやっぱり「真実」を知りたいし、知った上でそれを伝えていきたいんです。
伝えるには「書く」「話す」ももちろん含まれていて、それで今もこうやってブログを書いてみてるんです。
でも、僕が言う「教養」だとか「真実」っていうのは必ずしも需要と供給という資本主義のルールに則っていないという問題がありまして…
どっちかっていうとむしろそうした既存の価値観みたいなものをぶっ壊すと言いますか何と言いますか…
まぁ、批判的に見た方がいいと思っているんですね。
破壊するってことは再生するってことですから、じゃあどうすればいいかっていったらこう言えるんじゃないかと思います。
- その対象である社会とかシステムとかをまず知ること。
- 理解した上で現状と比較分析すること。
- 適切な分析の元、改善を図り再構築すること。
- 以下、ループ…
まぁ、これを一人でやろうというのはどんなに時間があっても不可能で、まず間違いなく様々な協力が必要です。
しかも冷静に考えてそれに携わるというのは能力的にかなり厳しい…
自分がそう願いはしてもいろんな立場の人がいて、それぞれの思惑があり、理想があり、それを乗り越えた上でやるというのは一朝一夕にはどう考えてもいかない。
そもそもそんなこと必要としていない人の方が圧倒的に多いとも思います。
まぁ、社会とか国家とか資本主義とか批判対象なるものは個人には到底及ばないようなもので実質不可能と言っても過言じゃないですよね…
かくいう僕も青二才でしてね…
こんなこととか哲学を語ってたりするとですね、どう考えても
「なんだこのどこぞのガキとも知らない青二才が生意気なこと言ってやがるんだ社会の厳しさも知らずに」
とか思われちゃいそうな気がするんですけど、まぁあんまり真向から否定は出来ないなーとも自分で思うんですね。笑
実際、親にもよく「クソガキ」って言われるんですが。笑
それでも敢えて言いたいんですけど、勉強すればするほど「おかしい」ことをたくさん知ってですね。どうにか出来ないもんかなってのが心の奥底に渦巻いてしまってもう知ったからには離れそうにないんです。
ですが、我が家はそんな胸を張れるほど裕福ではないと。
それなりに生きていくにはお金はやっぱり今のところ必要なんですよね。
(お金そのものを否定はしていないが今の社会システムにはまだまだ改善の余地があると考えています)
ですが、僕のやりたいことはそんなにお金にならないし中途半端なレベルでは到底太刀打ちできない世界だと最近改めて痛感させられます!!!
困りました。笑
1年前と今の見え方
で、そんなことを約1年前にアポも取らずにたまたま就職課担当として面倒見のある教授の部屋に明かりが付いているのを見つけて乗り込んでぶちまけてみたんです。
そしたらですね。
「僕はこんなことをしたい。だけど能力的にも経済的にもかなり厳しい。」
「そうねー、君のやりたいことは基本的にお金にならないことだから『学長』になって大学を改革していくか起業するしかないんじゃない?」
とざっくばらんに言われ、
「とりあえずフラフラしてみなさい。」
とのアドバイスを受けました。
その場で紹介してもらったつくばでスタートアップ的にやられている「つくいえ」というサイトを管理している社長の元に行ったり、院生・博士・教授等に話を聞きに行ったり、フリージャーナリストで有名な佐々木俊尚さんが開催している「LIFE MAKERS」に参加してメディア関係者の方に直接お話を聞いたり、とりあえず次に備えてほとんど諦めていたというか考慮に入れていなかった留学をしに来たり、今もこうしてブログを書いてみたりとそれなりにフラフラしてみました。
うん。まぁまぁ動いたかな…
で、今になって思ったのが
「やっぱり研究者になれたら最高かもしれない。」
ってことでそれは自分のライフスタイルとかやりたいこととも合致していると思ったからなんですが、
いや、でも冷静にそれってかなりきつくない??
と僕の心が叫んでいてですね。笑
思いだけではどうにもなりませんから現実は。
思いは壁を乗り越えるために最低限の必要条件なだけであって、やはりそれなりの能力が求められます。
とりあえず練習ではありますが、論文を書くという経験を積み、この1年で今まで生きてきた中で一番(勉強としての)読書をしてきました。
そして今分かったのは、なんとなくこれから先に必要になる知的能力といいますか、戦略といいますか、とにもかくにもやっとおぼろげながら見えてきたような気がします。
なんだかんだブログは楽しい
正直、どこまでいけるか全然分からない。
現時点の能力として、まだまだ努力量も効率性も圧倒的に足りないと思う。
ぶっちゃけ心配です。笑
ビビります。笑
最近、ブログを書くようになって改めて自分が見てきた世界の狭さを知ったし、同時にまだまだ広大にひろがる領域にワクワクもしてきてて。
リスク回避とやりたいことをすり合わせた結果、ブログを書いてみたり、学術メディアを作りたいって思うになりました。
うん、なんだかんだ楽しいかもしれない。
1か月前はブログも一つの収入源になれたらと思って焦ってたけど、今は習慣化されてしまってこうしてたらたらとその日その時思ったことを書くのが楽しい。
もう、有益な情報をとかもちょっとどうでも良くなってきちゃってて、まぁたまに書けたらなーってくらいな感じですごく楽。
というかそもそもブログを始めたきっかけというのも、Facebookにはこんな風につれづれと書けないからそんなことが許容される場が欲しくて、一番手っ取り早いブログを始めたのでした。
多少、小難しいこと書いてもいいし、自分が面白いと思ったことや単純に初めて知ったこと学んだこと、さらにはその時の気持ちを含めてアーカイブとして残せると。
うん、これはこれで面白い。
「もはや読まれなくたっていいや好きに書こう。」
ぐらいにまでなってる。
もはや、悟りの境地。
なんだってコンテンツ化できる。
こんな情報でも誰かにとっては役に立つときもあるし、時に暇つぶしにもなる。
悪くないかもしれない。
って感じです。笑
母への誓い
先日、母とそんなこんなライフプランをたまたま報告したわけなんですが「楽しそうでいいじゃない。」ということで金銭的には僕以上に心配されてますがなんだかんだ応援してもらっています。
僕がブログをこうして書いていると聞くと、「さすが面白い」とか「相変わらず内容が濃いね」だとか「今度ブログを始めてみたいから教えて」とかとか言ってくれる友人もちょこちょこいて。
(本心は知らない)
まだ顔も知らぬ人も大勢いるけどなんだかんだスターを付けてくれたり、コメントをくれたり、同じメディアに興味を持つ学生として「実際に会いましょう」ということで、すでに3人の人と約束することになったり。
(そのうちの一人とは今度の4月にベトナムのハノイで会ってきます。旅行も新たな出会いも楽しみ~)
母も仕事疲れであれだけしていた読書をしなくなってしまったけど、僕がいろいろ半ば強引なとこもあったがお願いして飼い猫だった「プリン」のLINEスタンプを書いてもらいました。
冒頭の猫は今は亡きかつての飼い猫です。
僕がここまでこれたのも母に多大なる影響を受けているので、「ブログ書いてみたらどう?」と勧めてみてます。
ちょっとでも気晴らしになればうれしいし、本を読むことや絵を描くことが好きな母がまたそうしたものに触れるきっかけになれたらなーって。
すぐには「給料をほい」と渡すことは僕にはできそうにないですが、そうしたサポートはしていけたらなと。
専門を身につけるのはいろいろな意味で難しい
そう、最近改めて考えているのが結局のところ研究者を目指すにあたって「何を明らかにしたいのか?」ってことなんだなーと。
いろいろ考えてみたけど、やっぱり「人はどう生きるべきなのか?」ってことでその上での「正しさはいったいなんなのか?そもそもそんなものあるのか?あるならどうそれに向かえばいいのか?ないならないでどうすべきなのか?」ってことが気になる。明らかにしたい。あるなら知りたい。というかなきゃおかしいくらいに思ってます。笑
自分がすべて正しいとは思っていなくて、そうしたある意味、不完全で誰しもが「ラプラスの悪魔」にはなれない中で大切なのはやっぱり結果ではなく過程なんじゃないかと。
その上で、専門にしようとしている批判的談話分析はことばを分析してそれぞれの人の考え方だったり、前提、隠された価値観を見て取るのは面白い。
見て取るだけじゃなくて、「批判」として次につなげるのだから実践性もあってそこもまたいい。
言説も扱うので社会学、歴史学、知識・情報、メディア、政治・経済と対象とする幅も広いのは非常にグッド!
その分、難しいっていうよりは正当性をどう確保するかという意味で非常につらいとも言えるけど…
「場」を創造したい
東浩紀さんが手掛ける「ゲンロン2」がもうそろそろ出るらしい。
AmazonのPrime会員なら無料で読めるのでダウンロードしたもののKindleの中に眠りっぱなしの「ゲンロン1」を読んでるのだけどすごくおもしろい!
- 作者: 東浩紀,鈴木忠志,大澤聡,市川真人,福嶋亮大,佐々木敦,安藤礼二,黒瀬陽平,速水健朗,井出明,亀山郁夫,上田洋子,ボリス・グロイス,クレイグ・オーウェンス,海猫沢めろん
- 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
- 発売日: 2015/12/04
最初の「演劇・暴力、国家」にて鈴木忠志さんと東浩紀さんの対談でこんな話があります。
鈴木:芸術や演劇というのは、そもそもその種の共同性から脱落したひと、そうした共同性の質に対して批判的なひとがやり始めたものだという認識なんですよ。
とか
鈴木:本当の芸術活動や文化政策を考えるなら、成果を納税者に還元するという考え方そのものがだめです。予算を納税者以外のひとのためにも使うのが、本当の公共性というものです。
とか
鈴木:わたしの考えでも芸術家はテロリストと近い。精神のテロリストという意味ですけどね。共同体の多数が共有する価値観に対して、否を唱える立場。
とか
東:物理的な場所がないと記憶は肉体化しない。集団もすぐに崩壊する。(中略)ひとは忘れやすい。だから思考の継続性のためには物理空間に頼るしかない。それでゲンロンカフェを作ったんですが、始めてみたら、これはカフェではない、むしろ劇場だと気がついた。
そう、いろいろ考えて思ったのは「あー、僕も場を作りたかったんだ」ってことに最近気づいたんです。
そして、僕の作りたい場というのはそれは芸術であり、学術であり、究極的には「如何に生きるべきか」というものを模索し、表現する場なんだろうなーと。
敢えて言うと僕は「宗教」めいたものが嫌いです。
だから、学術を強調しているのですが…
こんなこと言っているとそういう風なものを目指していると思われがちなような気もするし、かといってあながち間違いじゃないとも思うのですが念のため言っておきます。
東さんも先日、こんなことをつぶやいていました。
唐突に呟くけど、結局のところ表現者や言論人は、国家にすり寄るか資本にすり寄るかカルトになるか3つしかないのだとしたら、ぼくは3番目を選ぶひとで、そういう意味ではアウトサイダーアートに共感する。インディペンデントになるにはまずアウトサイダーにならないとダメなのではないか。
— 東浩紀@春会員+ゲンロン2受付中 (@hazuma) March 6, 2016
散々、学術メディアを作りたいって言っているのもそれは単純にまだ僕に力がなくて手っ取り早く出来そうなのが「メディア」だったってだけなんですね。
まぁ、現実とネットをリンクさせた上で場を持てたら最高なんですが…
研究者っていうのも最初は全くもって選択外であったわけで、現実問題厳しいのは間違いないと思います。まだ今はあくまで一つの選択肢なわけですが、とりあえず院には行って打ち込んでみて力試しをしてみたいです。
おっぴろげーに生きていく
だらだらとつい書いてしまいましたが、僕がやりたいこととそれに対する今のギャップで武者震いをしているのがここ最近です。笑
そして、そういったこともある意味結局は「僕に関わってきた、または関係がある誰かを守るため」で、それは同時に「その誰かを守りたい自分を守る」みたいなとこがあります。
まぁ、なんでもいいんですが、とにかくここ最近改めて自分の立ち位置が見えてきて、やりたいこともより明確になってきました。明確になったので、どうすればいいかも少しずつ見えてきたかな?ってところです。
まだただのそこら辺にいる変な方向に走り出した狂人ですが、なんだかんだ初志貫徹することには定評があるのでそんな感じで飽きない程度にふらふらと楽しみながら、でもどこか心の奥底には火を灯してやってこうと思います。
そんなとしちるをですね、「バッカだなー」とか「変な人だなー」とか「とりあえず見といてやるよ」とかでもなんでもいいんですが、時に冷たく時に暖かい目で観測していただけると嬉しいです。
では~!