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「人間性」という言葉に持つ違和感―なぜポジティブなニュアンスとして使われるのか?

「人間性」という言葉に違和感を持ったことがありますでしょうか?

僕はしょっちゅう「おかしいな~」と思ったりしています。

だって「人間」って「良くも悪くも」人間だとは思いませんか?

「人間性」という言葉が持つ文脈

ども!細かいことばの使い方が時に気になるとしちる@ture_tiru)です。

「言語学者は日常何気なく使っている言葉遣いに突っ込んだりするので嫌われやすい」なんて書いてある本もありましたが、それを肌で実感しつつある今日この頃です。

「人間性」という言葉を聞いた時、どのような文を思い浮かぶでしょうか?

例えば「人間性を疑うわ~」なんてよく聞き慣れた言葉なんじゃないかと思います。

ですが、僕はこのような言葉を聞いた時に脳内のシナプスがピピピッと繋がり

「はっ?」

とやや威圧的に表情を強張らせてしまっているかもしれません。

冗談です。

なぜ「人間性」という言葉に違和感を持つのか?

ひとえに「人間性」といっても様々な文脈があるかと思います。

ですから、今回はあくまで「人間性」という言葉にポジティブな意味合いのみを付加した場合についてのみ言及します。

というのも、何が気になるかというと「人間」というものは「良くも悪くも」人間のはずなのに、なぜ前提として「人間」が「良い」ものとして扱われるのか?ということなのです。

「人間性を疑う」然り、「人間性が低い」という言葉然り。

こういった言葉を使うときに無意識のうちに「人間性とは『良い』人間の性質」というものが了解されているかのように受け取ることができます。

ですが、それってすごく恣意的だとは思わないでしょうか?

※ 「恣意的」とは、場当たり的に自分本位なことを意味する形容動詞。

本来、「人間」というものは「善」と「悪」を持つものです。

そもそも「善」がなければ「悪」という概念も理解されないですし、それは「悪い」がなければ「良い」もないのと同じです。

例えていうならタオの概念のように「光」がなければ「闇」もないし「闇」あってこその「光」だということです。

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「善悪」を持つ「人間性」

こうした言葉を無意識に用い続けてしまうと本当のところ何が「正しい」のかわからなくなってしまうのではないかと思っています

何より、「人間性」というあやふやな言葉で誰かを蔑むようなことをするのが好きではありません。

正直、嫌いです。

「あんたは人間の何が分かっているって言うんだッ!」

なんて怒れる瞳のシン・アスカ(機動戦士ガンダムSEED DESTINYの主人公)が顔を出します。

そういえば「平和」「戦争」も似てますよね…

では~

1 Comment

なにわ

「人間性を疑う」の文脈において”人間性”は必ずしもポジティブな意味ではありません。あくまで良いもの悪いものを包含した人間性質として疑っているわけです。
つまり、(良いと思っていた)人間性を疑うということです。
ある状況において信頼していた人間に裏切られたとして、もともと良いと思っていた部分(状況によりますが、汚職などではお金にクリーンなイメージでしょうか)が間違っていたと分かって「人間性を疑う」になるわけです。少ない用法になると思いますが、逆パターンもあり得ます。

逆パターンの場合、もっとクズだと思っていたのにがっかりしたとなります。これは普通に通じる用法です。先入観として”人間性”というワードにポジティブさの前提はそこまで強くないと思います。

もちろん、人間性そのものを良いもの、悪いものと二極化して捉える思想もありますが、それは思想批判になり、言語学の範疇を超えます。

『皆さんは「人間性を疑う」との文脈に”人間性”を良いものとして捉えているのではないのか?』との理解が恣意的です。人間性はあやふやな言葉ではありません。

個人の、あるいは全体の、人間の性質のことです。

個人的に少しイラっとしたので指摘させていただきました。

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