更新:教養系ラジオStudy Talk vol.1~vol.3―うなずき合いと訣れて語り合いを紡ぐ

断片的なものの意味を紡ぐ―人生はにがにがしいものだこれ。

僕は岸政彦先生という方がかなり好きです。

断片的なものの社会学』という本を読んでから、その卓筆な世界観に引き込まれるようになってしまいました。

「社会学」という名がつく通り、研究者の方で、特に生活史(ライフヒストリー)という分野を専門にされながら、沖縄を中心とした社会調査をされています。

そんな岸先生が最近、「にがにが日記―人生は苦いのだ。―」なる、ただただ同意せざるを得ない連載をはじめられたようなんです。

それはさておき、GW、何の気なしに実家に帰ることにしました。

いつもだいたい突然帰ることを決めることから、親も段々それを分かってきたようで、「帰るわ。」と言っても「そう。」みたいな感じで、「あれ?いつもは帰ってこいと言われるのに…」と心なしか思ってしまったことに悔しさがにじみます。

歯に衣着せぬ思いを噛み締めたわけでもなく、いつも通り予定より遅れて到着してしまい、「お腹ペコペコだぜ!」なんて思いながらシャワーを先に浴び、やっとこさ実家でご飯にありつけました!

軽やかにご飯を突っつきながら、段々と雑談が議論に発展していきます。思うに、我が家は皆、それぞれ”我”が強く、子どもの頃から「あーだこーだ」と言い合ってきたような気がします。

祖母は中卒、母は高卒だったこともあり、僕が大学・大学院に進みきちんと勉学に励んでいることを喜んでくれていました。

これは正直、予想していなかった反応で、亡き祖父やどこ行くか知らぬ父に、僕と似ていたらしい母の弟といった、いろんなものが頭をよぎりながら、「あー、これは僕はしっかりしなければなぁ。」という思いを持ちました。

みな凝り性なことを考えると、きっと大学教育を受ける機会があれば、それなりに楽しく、意義ある学生生活を送っていたんじゃないかとも思います。

人生はどこか不連続に思えて、気づけば連続的だった何かにふとした拍子でぶつかることがあります。

たぶん、きっと、今こうして何かをつらつらと考えていることも、つれづれと赴くままに書きつづっていることも、どこかで何かの拍子に意味をなすんでしょう。

昨今は、大学改革でも「イノベーションの創出」だとか「社会的貢献」というものが高らかに叫ばれ、もちろんそれはそれで大事なことだとも思うんですが、あれよあれよと過ぎ去る日常を記述し、余白を生み出すのもまた大学の役割だとも思うんです。

意味を意味として与えるきっかけをもっと作れたらなぁ。