あれこれ今とこれからを考えると、どうにもあくせくとしてしまう日常ばかり送るのも疲れるなーと思います。
5月の半ばも過ぎ、6月という2018年も折り返しが見えてきたと恐ろしい…
そんなわけで、今日は研究会のメンバーとひとやすみとして、あれこれ雑談に花を咲かせておりました。
ひと休みひと休み〜 pic.twitter.com/EhFmClC8cI
— としちる (@ture_tiru) May 23, 2018
ところでですが、最近、「主体的な学び」ということばが、どうにも引っかかっているのですが、こんなものを見つけました。
“高大接続ポータルサイト「JAPAN e-Portfolio」:文部科学省大学入学者選抜改革推進委託事業(主体性等分野)で構築・運営する、高校eポートフォリオ、大学出願ポータルサイト。高校生が学校内外の活動をeポートフォリオとして記録し、高校生が入力した記録を高等学校の先生が確認できるサイト。”
— としちる (@ture_tiru) May 20, 2018
ビッグブラザーがいなくても1984年って実現するんだな。 /「今後の大学入試で必要となる学習記録データ(eポートフォリオ)の蓄積にとどまらず、生徒が日々の学校生活の中で得た学びや気付きを、スマートフォンやタブレットなどで記録」ベネッセとソフトバンクの合弁会社 https://t.co/8MMj0iBI33
— 岸政彦 (@sociologbook) May 20, 2018
正直、あまり良い印象はないのですが、導入される経緯については記事で以下のように書かれていました。
2020年度に迫った戦後最大規模ともいわれる大学入試・教育改革では、生徒の「主体的・対話的で深い学び」を実現するべく、従来の筆記試験に加えて、本人が記録する学習記録データ(eポートフォリオ)を積極的に加えて評価するなど、多面的・総合的な能力や適性を評価する試験へと大きく転換が図られる予定です。
複雑化した社会に対応するために、複雑な能力を”評価”しないと、っていうのは分からなくもないのですが、やっぱりあくまで「評価する」側の問題として「主体的」ということばが使われていることに違和感を覚えるのかもしれません。
個人的には主体的な学びとしてのアクティブ・ラーニングより、個人に合った学びをデザインできる、選択できるようにするという意味でのパーソナル・ラーニングをもっと考えた方が良いのではないかと考えています。
アクティブ・ラーニングより、パーソナル・ラーニング的な方が良いなとふと。
— としちる (@ture_tiru) March 1, 2018
学びをパーソナルに合ったもののにシフトしていけるのはベターであると思う一方で、それを閉じた系にするのではなく開けた系にしていく方向性をずっーと考えてるけど、まだふわふわしてしまっている。
— としちる (@ture_tiru) March 1, 2018
そして、そんな個々人に合った学びをしていくのには、あまりにも現代は忙しい。
ゆっくり余裕を持って考える環境と、補助としても先導としても導いてくれる師が必要だと思います。
最近つくづく思うのだけど、やっぱり性分の相性が合わないと良い師弟関係は築きにくい気がするんだよな。その人にはその人に合った師匠がいる。
— としちる (@ture_tiru) March 1, 2018
このスタンスは気になる。そうなんだよ、もうみんな忙しくて、深くて主体的な学びってのも窮屈だと思うのだよな。
"現実に立脚し、教員・学生・職員・市民がそれぞれの目線から「肩の力を抜く」必要性を説く「もう一つのアクティブラーニング論」"https://t.co/V4LHPwrS88
— としちる (@ture_tiru) March 5, 2018
「主体的」と言っても、知識・経験が乏しい中で出てくる知見には限度があると思いますし、学問を学ぶとなると、好き勝手に勉強するだけだと勝手な解釈となってしまう。
解釈の意味づけをどうやって論証していくのか、そのために必要な知見はなんなのか。
「アクティブ」ということばだけで終わらせずに、それこそ意味づけをしていくこともまた重要であろう。そんな気がします。
特に、大学での学びは「リ・メイキング」、つまり自分で研究だったり、実践だったりで再構築していくことが肝要になるではないかと。
目まぐるしく進む世の中ですが、それこそ「ちゃんと考える」ことを続けていきたいなと思います。