あたふたとした現代社会と主体的な学びをつれづれと考える。

あれこれ今とこれからを考えると、どうにもあくせくとしてしまう日常ばかり送るのも疲れるなーと思います。

5月の半ばも過ぎ、6月という2018年も折り返しが見えてきたと恐ろしい…

そんなわけで、今日は研究会のメンバーとひとやすみとして、あれこれ雑談に花を咲かせておりました。

ところでですが、最近、「主体的な学び」ということばが、どうにも引っかかっているのですが、こんなものを見つけました。

正直、あまり良い印象はないのですが、導入される経緯については記事で以下のように書かれていました。

2020年度に迫った戦後最大規模ともいわれる大学入試・教育改革では、生徒の「主体的・対話的で深い学び」を実現するべく、従来の筆記試験に加えて、本人が記録する学習記録データ(eポートフォリオ)を積極的に加えて評価するなど、多面的・総合的な能力や適性を評価する試験へと大きく転換が図られる予定です。

複雑化した社会に対応するために、複雑な能力を”評価”しないと、っていうのは分からなくもないのですが、やっぱりあくまで「評価する」側の問題として「主体的」ということばが使われていることに違和感を覚えるのかもしれません。

個人的には主体的な学びとしてのアクティブ・ラーニングより、個人に合った学びをデザインできる、選択できるようにするという意味でのパーソナル・ラーニングをもっと考えた方が良いのではないかと考えています。

そして、そんな個々人に合った学びをしていくのには、あまりにも現代は忙しい。

ゆっくり余裕を持って考える環境と、補助としても先導としても導いてくれる師が必要だと思います。

「主体的」と言っても、知識・経験が乏しい中で出てくる知見には限度があると思いますし、学問を学ぶとなると、好き勝手に勉強するだけだと勝手な解釈となってしまう。

解釈の意味づけをどうやって論証していくのか、そのために必要な知見はなんなのか。

「アクティブ」ということばだけで終わらせずに、それこそ意味づけをしていくこともまた重要であろう。そんな気がします。

特に、大学での学びは「リ・メイキング」、つまり自分で研究だったり、実践だったりで再構築していくことが肝要になるではないかと。

目まぐるしく進む世の中ですが、それこそ「ちゃんと考える」ことを続けていきたいなと思います。