修正癖への戒め

 ぼくがブログを始めたのは、2015年の11, 12月くらいだった。始めようと思ったきっかけはタイ留学だった気がする。好き勝手に書き始めたが、おのずと時間をかけるようになったのはWebデザインの方だった。とは言っても、考えてきたことや日常生活で出くわす出来事から考えていることを自由に書けることはとてもいい経験だったと当時から感じていた。

 特に良いなと思ったのが、何度も推敲できる点だ。ブログを始める前までは、大学の広報誌の制作をしていた。印刷物はその後に修正ができない。当然ながら、ミスがないように複数人で校正を反復する。それはもう、何度も何度も。だんだん、自分が書いている文章だけれども、自分の文章じゃない表現にもなる箇所が出てくる。それがあまり好きではなかった。その違和感には、自分の表現やことばに責任を持ちたいと思うことが根っこにあるのだと思う。昔からそうだった。

 ところがどっこい、ブログ記事は自由だ。圧倒的に。記事で下手な文章構成や変な表現をしてしまう時もある。けれども、それは後で確認して直せる。この自分のことばを確保しつつ、それでいてバージョンアップできるのが良かった。さながら、文章トレーニングのRPGがブログだった。

 ただ、最近はこうも思う。この経験は自分ができることを増やす機会になった一方で、「後で直せばいい」という怠惰にもつながるようになったと。これは、仕事をこなす上では、時に問題となる考えにもつながりかねない。当然ながら仕事は一人で完結するものばかりではないし、後で別の人に修正を加えることにもつながりかねないからだ。

 今年、2022年は新しい環境で仕事をするようになった。そこでも文章を書く。このブログでも、半ば「練習」だと思い、ものを書き始めた。ここでは修正ができる。けれども、インターネット上で文章を書くことは、誰かがそれを読むことでもある。そうした他者の気配と、自分が放つ書きものへの責任を再認識するべきだろう。修正する可能性があることは悪いことではない。けれども、修正「癖」は戒めるくらいでちょうどいいはずだ。

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