「ハイコンテクストはやめた」宣言──人を動かすやさしい技術について

 今日の夕暮れ時、ロフトワークのクリエイティブディレクターの村上航さんと立ち話をした。そこで村上さんがふと漏らした「ハイコンテクストなのはやめた」という一言が、耳に残っている。そのことばの奥にあるのは諦めではなく、むしろ「誠実さ」の変容なのだとすぐにわかった。

 そのことばが語られたのは、村上さんが取り組んでいた長崎県佐世保市のアートプロジェクトを話題にしていた時である。舞台となる長崎県佐世保市は、非常に多層的な顔を持つ土地だ。旧石器時代の洞窟遺跡が点在する太古の記憶と、明治以降の鎮守府開庁によって形成された「海軍の街」としての歴史。そして戦後の米軍進駐を経て、現在も基地と歓楽街、市民の日常が隣り合わせで混ざり合っている。

 この複雑で、ある種「重い」文脈を持つ土地の“いま”を、どうすれば外部にひらき、届けることができるか。彼らが選んだのは、視覚的な展示だけでなく、「音」を公募するという手法だった。テーマは「Shoreline(波打ち際)」。海と陸、過去と現在、内と外が絶えず揺れ動きながら混ざり合う境界線がコンセプトとなっている。ことばやビジュアルで描ききれない佐世保の複雑さを、「音」に託すことで、外部のクリエイターを巻き込み、新たな文脈(コンテクスト)を紡ぎ出そうとする野心的な試みだった。

 だからこそ、村上さんが語った「ハイコンテクストをやめる」とは、複雑さを捨てることではないのがわかった。複雑なものを守るためにこそ、入り口を広げ、人を招き入れる「フック」を作る。その泥臭さを引き受けるという、クリエイターとしての矜持だったのだろう。

 ──ここで話は少し飛ぶが、最近、ぼくはロフトワークで働く上で考えていたことがある。それは、クリエイティブの本質は制作物やその表現だけではなく、外部の他者からの目線や評価で「価値」づけられることも含めて、クリエイティブの評価に関わるということだった。これは、作品からすれば非本質だが、この非本質こそが本質、というややネジれた特徴がクリエイティブには否が応でも宿ってしまう。ロフトワークが最近掲げるテーマ「Openness(ひらく)」の真の難しさがここにはあるとぼくは考えている。

 この話は、アカデミックなバックグラウンドを持つ自分のような人間にこそ、痛いほど刺さる。ぼく自身、言語人類学やディスコース分析を専門としてきた。そこでは、「記述(Description)」こそが正義であり、そこに恣意的な「誘導」を加えることは、対象への冒涜だとすら感じる訓練を大なり小なり受けてきたからだ(ぶっちゃけかなり抵抗して外に飛び出している)。複雑な現実は複雑なまま記述されるべきだし、安易な要約、恣意的な解釈はいわば暴力だ、と。

※ それは反面で事実である。だが、厳密にはあらゆるコミュニケーションも、クリエイティブであろうと、その根本には「暴力」がある。

 今日チームリーダーからもらったフィードバックも、まさにその「記述の癖」を突くものだった。「資料を作りました」という事実報告ではなく、たとえば「いつまでに、ここを推敲してほしい」という具体的な行動要請(Direction)が欲しいことも多いと。

 ぼくはつい、「正確に記述すれば、価値は伝わるはずだ」と思いたくなる。あるいは、「わかる人だけがわかればいい」というハイコンテクストな聖域に逃げ込みたくなる。なぜなら、人を動かすために情報を加工することは、どこか「不純」で、嘘をついているような居心地の悪さを伴うからだ。ことばの純度を下げることは、どこか“自分を裏切る行為”のようにすら時に感じる。

 しかし、村上さんの「やめた」ということばを聞いて思う。その「居心地の悪さ」を引き受けることこそが、実はこれからのクリエイティブや、あるいは研究者が社会と接続するために必要な「コスト」なのではないか。

 たとえば森の奥に入るからこそわかる自然の豊かさや景色の美しさを知ってほしいのなら、森の入り口に誰でも通れる舗装された道を一本引かなければならない。それは森の自然を破壊する行為に見えるかもしれないが、誰も訪れない森は、やがて誰の記憶からも消えてしまう。実際、「里山」とは人が出入りや手入れをすることによって成り立つものだと聞く。

 人を動かすためのことばの技術、行動を誘うやさしい想像力。これらを「マーケティング的な手練手管」と斜に構えて見るのは簡単だ。でも、本当に守りたい複雑さがあるのなら、ぼくはその「不純」に見える技術さえも、誠実に磨いていく必要があると思う。

 窓の外を見れば、今日はもうすっかり夜の帳が下りている。複雑なものを複雑なまま愛でるのは、夢の中だけでいいのかもしれない。潔く、泥のように眠って、とりとめのない夢にもぐるとしよう。戦う者にも、迷う者にも、誰にだって眠る権利はあるのだから。ってなわけで、おやすみ世界!

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