「どうしてここまで来てしまったのだろう」

1月の第二週は、大学入学共通テストが行われ、世間ではときどき雪による遅刻の対応などが話題になる。ぼくの時代は、まだ共通テストではなく、センター試験と呼ばれていた。かくいうぼくはセンター試験を3度も受けている、いわゆるツワモノである。センター試験には痛い目にあい、大学受験を通してさまざまな失敗してきたのだが、その失敗がただ悪いことにつながるばかりでもなかった。

事後的に振り返ってみれば、進んだ道には道のいろいろな可能性がある。受験生にとっては試験やその結果が知れるのは3月までだが、無事に休息をとり、いくばくか未来に期待して過ごしてもらえたらなと思う。

一方で、ぼくにとってはもはやセンター試験(あえてこう呼ぼう)は蚊帳の外の話題になりがちで、この時期はどちらかといえば卒論の提出締め切りがもっぱらの関心になってしまった。大学院生としてゼミに顔を出し、いくども学部生の発表や研究に対し茶々を入れる。無駄にプレッシャーかけやがってとか、妙にゼミのレベルを上げる雰囲気をつくって迷惑極まりないと思う学生もいるだろうとは思いつつ、嫌われ役として顔を出し続けている。

とはいえ、ぼくも博士課程のまだ学生だ。2023年の今年はついに博士論文を書く。博論はいわば学生生活の集大成でもある。30歳に至った今、日常的にも学部生とのやりとりをしている中でも「なんでおれはここまで来てしまったのだろうなー」と自問自答を繰り返すことも多い。もちろん、そこに明確な答えはない。ただ、なにかに関わり、問題や騒動の対処に巻き込まれ、必死に生きてたらいつの間にかここまで来てしまった。大学に入ってまさか自分が研究者の道に進むとは夢にも思わなかったのだ。

大学受験の失敗は、ぼくにリアリストとしての側面を開花させた。夢ばかりは見てられない、とっとと働こう。そんな考えを入学時に抱いていたにもかかわらず、10年も大学にいる。だからこそ思うのだ。

「どうしてここまで来てしまったのだろう」

そんな話を、ゼミ終わりにふと出会った男子学生と歩いて話しながらこぼした。すごく驚いたらしい。いわく、「としちるさんぐらい研究が好きじゃないと博士には進まないんだろうなって思ってました」と。

今回は、学部生から見ていたとしちるという記号が、たまたま2年という歳月を経て異なる可能性に出会った瞬間だった。こうした関係性ができていたからこそ、その差異に「驚き」が生まれたのだと思う。

自分が思っている自分と、他人が見えている自分は違う。とはいえ、どこかでハッとするなにかに出会うときがある。ぼくは記号論を研究しているが、単一的な記号に還元しきれない、「驚き」と出会えることを楽しみに生きている。

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