君は9時間半話したことがあるか?

「君は刻の涙を見る」。このキャッチフレーズは機動戦士Zガンダムで用いられたものだ。Zガンダムとは、ファーストガンダムと呼ばれる1979年放映の機動戦士ガンダムの次作で、こちらは1985年に放映された。

 Zガンダムにも出演する初代主人公のアムロ・レイのセリフに、「人は同じ過ちを繰り返す・・・まったく」というぼくが最も印象的に残っているセリフがある。これはZガンダムの主人公であるカミーユ・ビダンが想い人を亡くしたシーンで語られたセリフで、アムロもまたファーストガンダムで最愛の人を亡くした経験から発せられたものだった。

 したがって、「君は刻の涙を見る」というキャッチフレーズは、宇宙に進出したことで、どんなに人がニュータイプ(超能力者)としてコミュニケーション能力を発達させても、「わかりあえない」ことや「似たような失敗」を繰り返してしまうことを指しているのだろうと思われる。

 ぼくはこの不気味に反復してしまう成功と失敗の経験というやつの不思議さをことあるごとに考えてきた。かくいういまもまた、博士論文という学位論文の執筆にあたって、これまでの卒論にせよ、修論にせよ、いつも同じように限界ギリギリの局面を迎えてきたことに不気味な因果を感じ取っている。

 というのも、完全にぼくが悪いのだが、博論の審査申請にあたって原稿を提出しなければならないことを5月に知り、申請期限の7月5日までにその時点で6月後半に予定が詰まっている状況だった。6月後半はZEN大学とゲンロンとのコラボイベントに、ゲンロンカフェの登壇、ゲンロン・セミナーのアフターセッションが立て続けにあった。そして、ぼくが登壇したゲンロンカフェのイベントが学問のミライと呼ばれる若手研究者との対談シリーズで、なんとここで9時間半もの長時間、イベントに登壇してしまった・・・

 いま学問のミライとアフターセッションからようやく一週間経った。無事に2日前に博論の審査申請はでき、ようやくいまとなって調子を取り戻してきている。

 なぜ人は同じ過ちを繰り返すのか? 繰り返さないように気をつけても、どうしても反復してしまう、この奇妙な性と因果の関係にいつも余計な思考を巡らしてきた。ぼくは思うのだが、もしかしてこれまでの経緯と出来事とはズレるけども、この繰り返してしまうなにかにどう対峙していくのか、ということもひとつの自己責任の取り方ではないだろうか。

 岸辺露伴も「最も難しいことは自分を乗り越えること」だと言っている。そして、人間讃歌とは「勇気の讃歌」なのだというのがジョジョの思想でもある。

 これらコンテンツに安易に仮託したいわけでもないのだけど、コミュニケーション論を超えた先にあるのは、もしかしてズレや不気味さに対峙する「勇気」なのではないかともついつい考えてしまうのだ。きっとそれは「愛」のことばにも似て、いつもいつも必要なものではない。けれども、それなくして「人間」にはなれない。失敗を帳消しにするのではなく、成功すればいいのでもなく、失敗を引き受け、似た出来事が反復してもなおそれを乗り越えようとすること。地道な積み重ねがいつか「刻の涙」を拭い去るといいのだけど。

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