知性を「消費」させないために。あるいは、古くて新しい「知恵」を更新するために。

 ぼくがアカデミアに関する活動をする上で大事にしているのは、大学でもなく、研究者でもなく、学問」を継承することです。これまでの活動──高校生・大学生向けの学術メディア「Share Study」の開設・運営から、博士論文のテーマとなった自己責任研究、そして現在のロフトワークにおける大学・研究機関向けの活動まで──において、一貫して重視しているのは、あくまで「学問」そのものです。

 言い換えれば、大切にしているのは「驚き」に満ちた古くて新しい「知恵」が更新されること、そしてそのような出会いを生み出すことです。その意味で、アカデミズムの知見や、研究者たちの切実な祈りを、ただの「消費されるコンテンツ」で終わらせない場所を作りたいと、常々考えています。

 そのために必要なことの一つが、お金を稼ぐ仕組みを作り、それをうまく分配し、「知」を生み出すコミュニティに活かすことです。きれいごとかもしれませんが、その勇気を持たずに、今の時代に「学問」を守り抜くことは難しいとも感じています。

 先日公開した、大阪・関西万博「ムーンショットパーク」の取材記事は、そのためのぼくなりのロフトワークにおける「第一歩」です。取材した、日本の最先端研究のひとつ「豪雨制御プロジェクト」は、一見すると、国策や科学技術という殻に覆われたこのプロジェクトの核には、研究者たちの過去の災害に対する「喪」と、未来への「祈り」がありました。

 それをどうやって、消費されず、かといって難解すぎて無視もされない形で、社会に実装するか。さまざま方法があると思いますが、ロフトワークが支援したのがその最先端研究はもちろん、それに取り組む研究者らの「想い」をクリエイティブな「カタチ」に翻訳することでした。

 研究が示唆する未来社会を「小説」や「アニメ」という物語に変換し、科学を「正しさ」ではなく人間の「葛藤」として提示する。研究予算の一部をクリエイティブに投資することで、技術は「権力・支配の道具」という一面から、「対話のことば」へと変われるのかもしれません(もちろん、技術が素朴に権威的なものだとは思っていませんが)。その「心」は取材記事のこちらのお知らせでも少し触れています。

 なので、今回の取材レポートは、「知性」と「経済」を、クリエイティブという接着剤でどう結び直せるか、この問いに対する、現時点でのぼくのアプローチを示したものです。

 研究者の方、学生の方、そしてビジネスの現場で「意味」を問い続けている方。ぜひ、読んで判断してください。

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