こんにちは、こんばんは。青山俊之です。ふと気づいたのが、この個人メディア『T LAB』は2025年12月に開設10周年を迎えます。時間が経つスピードが年々加速する中(毎年、一回は言ってます)、戦々恐々とする思いを抱きながら、プロフィールページを更新しました。
これまではかなりあっさりさせていた文章を今回はしっかりめにまとめ直しています。大きな特徴はプロフィール冒頭で語ったコンセプト「思わず『自分ごと化』してしまうような問いを通じて、『驚き』を紡ぐ関係を広げたい」と打ち出した点です。
どんな研究をしてきたのか、なぜ今のキャリアになったのか、そこにはどんな性分が関わってきたのか、そしてこの個人メディアの運営をはじめとした活動や仕事を通じてなにを主張したいのか、など自分の根幹の部分について語ってみました。よかったらぜひ。
なぜ「首切り」? 根っこにあるもう一つの問い
プロフィールで悠々と語っているのですが、基本、自分はマイペースで無責任な人間です。さぼりたくなることもしょっちゅう。
そんな自分が衝撃を受けて研究の道に進んだきっかけが、2015年に起きたイスラム国の日本人人質事件における人質への自己責任論に対する逡巡でした。プロフィール文章ではその経緯についても少し紹介しています。
一方で、おそらく自分を突き動かす根源にもっと近いもの、その片鱗に触れたきっかけが文化人類学の論文集で出会したフィリピンのとある民族の「首切り」の習俗の異質さでした。
世界にはさまざまな「首切り」の慣習がありますが、その民族では男性が大きな悲しみなどの感情の揺れ動きを味わった際、行うのが見ず知らずのその辺に歩いている他人の首を切り落とす行為だったそうです。その民族の慣習はフィールドワークを行なった文化人類学者が赴いた際には基本的に「禁止」されていたものの、その語りをとある夫婦から引き出す際、「首切り」ができなくなったことの悲しみを露わにする男性の妻が「もう彼をこれ以上悲しませないで」と嘆願したそうです。
ぼくにとって衝撃だったのは、その「首切り」という重い行為に対する理由のあるようでなさです。どんなに大きな悲しみがあろうとも、簡単に言ってしまえば、私情で彼らは見ず知らずの他人の「首を切ってしまう」。その民族の現地調査をした研究者も、さすがに文化人類学者として他者を記述する際の「文化相対主義(ざっくり、自らの文化の「正しさ」に依拠しないこと)」を疑ったそうです。
いまだにぼくはこの衝撃が忘れられません。かつて別記事「きっとこれ以上のことばは慎まなければならない。」で、ぼくにとって「あそび」は人生を貫く重大なテーマと語った理由は、半分は元々の気質はあるとはいえ、もう半分はなによりもこの理由のあるようでない、ないようである、得体が知れず人を突き動かす衝動(ニュートラルに言えば「動機づけ」)がなんなのか、という問いが根っこにあるのだと思います。
大袈裟に語っておきながらなんではありますが、まだぼくは肝心のその「首切り」族の民族誌を読んでいません(読んだのはあくまで別の研究者が解説した論集)。いつか読まなければ、などと思いながら、忙しさにかまけて、そしてなんとなく避けてここまできてしまいました。
今回、プロフィール文章で自分の人生の「コンセプト」などと語ってしまったせいか、ようやく「その時」がきたような気がして、ついついこの文章を書いています・・・
いや、そこまで衝撃を受けたなら「読めよ」って話なんですけどね。まぁそういうこともあるじゃないですか(逆ギレ)。で、では!(逃げ足 サササッ)