青山的「大学(ウニベルシタス)」構想──人も知もお金も「ぶん回す」仕組みづくりについて

 ぼくには将来の夢が大きく二つある。ひとつは、「大学」をつくること。 もうひとつは、ぼくが死んだ後に、あいつ(青山)の仕事は「哲学」だったと思い出されることにある。今回は大学をつくるという夢について、少し書き記したい。

「大学」のイメージを更新したい

 なぜ今さら大学なのか。

 正直に言えば、今、日本の大学は「複雑骨折している」と言われるほど、あちこちがボロボロな状態だ。学問のタコツボ化、短期的な成果主義による研究の疲弊、社会の現実的な課題や期待との乖離、あるいは就職予備校化・・・。さまざまな限界が指摘されて久しい。

 ぼく自身、大学院で博士号を取得したが、プロフィールにも書いている通り、研究者としてのアイデンティティが強いわけではない(どちらかといえば批評家に近い)。

 そんなぼくだからこそ、既存の大学の限界を踏まえた上でなお、大学的なるもののイメージを更新したい、という想いがある。

 ぼくが構想しているのは、大学の原型である中世の「ウニベルシタス(universitas)」ということばの源流に遡り、そこから古くて新しい「大学的なもの」を生み出すことにある。

「回転する」共同体としてのウニベルシタス

 universityの語源は、ラテン語のuniversitasで、これは(教師と学生の)組合・共同体と訳される。さらに分解すると、unus(一つの)と versus(「回る」を意味する vertere の分詞形)から成り立っている。つまり、その根っこには「全体としてまとまって回転する」というダイナミックな意味合いが隠されている。

 ぼくが意味を取り出したいのが、この「回転する」というニュアンスである。というのも、この意味での「大学」は、固定化された施設や制度のことではない。それは、好奇心によって集まった人々が、知と問いを持ち寄り、それらを回転させ、循環させる潮流や文化そのものを指すのだと、ぼくは解釈している。

 ぼくがイメージする「ウニベルシタス」は、いわば多様なクリエイターたちが集う場だ。ここでいうクリエイターとは、研究者やアーティスト、デザイナー、市民、実務家(ビジネスパーソン)、公務員、政治家、NPO/NGO職員など、あらゆる人を指している。

 彼ら/彼女らが集うことで、それぞれの「一般知(常識・慣習)」「専門知(研究・クリエイティブ)」「実践知(技術・プロジェクト)」という3つの知を持ち寄り、その相違を浮き上がらせる。そして、それらを外にひらき、またさらなる知とプロジェクトへとつなぐ仕組み。

 それこそが、ぼくのつくりたい「大学」の姿である。

大きすぎる「大学」と、小さな「ゼミ」

 では、その「回転」はどこでどう起こすのかと考えると、今の「大学」は大きすぎると思っている。だから、もっと小さく始めなければならない。

 その具体的なイメージが「ゼミ」である。

 目指したいのは、擬似的でありながら、誰もがアクセスできる普遍的な社交場。いわば、無数の「擬似ゼミ」が立ち上がるプラットフォームとしての「ウニベルシタス」というわけだ。

 大学全入時代と言われる今、多くの人がゼミという場を(良きにつけ悪しきにつけ)経験している。だから日本特有ともいえる「ゼミ」の存在は、「知」の再興に向けてちょうどいいイメージの源泉にもなりえるのではないか。また、いろいろな人と出会った経験上、大学に行かなかった人にとっても、「ゼミ的なるもの」を求める感覚はありうると思っている。

「ゼミっぽさ」という可能性

 かつてぼくは、「『ゼミっぽさ』のインターフェース性に関する覚書」という記事で、こんなことを書いた。

「ゼミっぽさ」とは、「ゼミナール(あるいはラボ・研究室)」のメンバー同士のように日頃感じていることやその背後にある「問」を素朴に考えられる関係性のこと

 ゼミっぽい場は、まじめな研究者と(研究に対しては必ずしもまじめではない)ふまじめな学生が出会うインターフェースである。そこでは「学問というプロセス」に対しては、ある意味、まじめにふまじめな両義的関係性が生まれている。

 このゼミっぽさこそ、ぼくが構想するウニベルシタスで「知を回転させる」ためのイメージの原型にある。

 目指すのは、研究者、市民、実務家が出会う場で、互いの想いや考えがぶつかり、その背景にある問いや思想を浮き立たせながら、それによって自分の考えが揺さぶられる体験をデザインすることにある。

 そのプロセスを通じて、参加者はそれぞれの問いを、まさに自分ごと化していく。ぼくのプロフィールで掲げた「思わず『自分ごと化』してしまうような問いを通じて、『驚き』を紡ぐ関係を広げたい」というコンセプトは、この「ゼミっぽさ」の実践であり、ウニベルシタス構想の雛形でもある。

 人と知と問いが集まり、互いに影響し合いながら「回転」する。 その回転の遠心力によって、固定化された常識や専門知が解きほぐされ、新しい「驚き」が生まれる。

 このメディアの記事も、今後の活動も、そんな大学(ウニベルシタス)に向けた、小さなゼミを生み出す一歩につなげていきたいと思っている。

 タイトルに付けた「お金」について語っていなかったが。ここもめちゃ重要かつ一番ムズイところなので、またあらためて。ではではー。

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