先日、初のYouTubeライブ配信を行いました。 タイトルは「雑談、論壇、直談判! 戦後80年、日本の自己責任論を考える」。
これまでの研究活動、そしてこの1年半の個人的な「波乱」を経て、いま自分が何を考え、どこへ向かおうとしているのか。狼煙(のろし)を上げるような気持ちで、ビール片手に3時間半(!)、語り倒しました。
アーカイブ動画を公開しましたので、ラジオ感覚で作業用BGMとして、あるいは気になるトピックのつまみ食いにご利用ください。
「話が通じない」の正体を探る
今回の配信は、単なる近況報告ではありません。ぼくが博士論文で取り組んできた「自己責任論」の研究をベースに、現代日本の「空気」や「違和感」を言語人類学に読み解く試みです。
配信の中で触れたトピックから、いくつか「問い」をピックアップしてみます。
- 石破茂「戦後80年所感」が遅れて出された意味
8月15日ではなく、10月にひっそりと出された所感。そこに書かれていたのは、外交的な謝罪ではなく、国内システム(無責任の体系)への痛烈な反省でした。なぜ正論は響かないのか? 加藤典洋『日本の無思想』を引きながら考えました。 - なぜ「自己責任」と「迷惑」はセットで語られるのか?
日本の自己責任論は、欧米由来の「自律した個人(権利と義務)」の話だけでは説明がつきません。そこには日本土着の「迷惑(をかけるな)」という論理が混ざり込んでいます。 - アカデミアとビジネスの交差点で
某人文系出版社を経て、現在はクリエイティブカンパニー「ロフトワーク」に身を置いています。研究者としての「知」と、ビジネスの現場での「実践」。その間にある「ドーナツの穴(あそび)」をどうデザインしていくか。個人的なキャリアの変遷(直談判パート)も赤裸々に語りました。
議論のための議論ではなく、実感を伴った「問い」を共有したい。そんな思いで、今後もこうした発信を続けていきます。もし「おっ」と思うトピックがあれば、ぜひ該当のタイムスタンプから覗いてみてください。
タイムスタンプ(目次)
▼オープニング・近況
▼論壇・時事考察
▼研究:日本の自己責任論を解剖する
- 01:31:12 「話が通じない」日本と言語人類学のアプローチ
- 01:39:44 自己責任論の正体(近代の論理×世間の論理)
- 02:32:17 本当の問題は「自己責任」より「迷惑」にある
- 02:47:01 【コメント回答】「させていただきます」と「思いやりゾーン」の違和感