東京喰種「この世の不利益はすべて当人の能力不足」かについての考察

「この世の不利益はすべて当人の能力不足」

 来年早々に海外で使うデビッドカードをなくした。確かに部屋に置いてあったはずだが、帰国して確認してみたところ見つからない・・・急いで、再発行の手続きをしたのだが、年末年始なこともあって速達便のやり取りをしてもかなりギリギリとのこと。そんな時に思い浮かんだのがこのセリフ。

この世の不利益はすべて当人の能力不足

 いまの自分に突き刺さることばです。このセリフを発したのは冒頭の画像にある、「東京喰種(とうきょうぐーる)」の主人公「金木研(かねきけん)」。彼は心穏やかな文学好きの青年だったが、幾多の「悲劇」に出くわしていくことでこのようなことばを吐くほどに変貌していく。

経済思想的な発想から考える

 ズバッと突き刺さるこのセリフ。確かにその通りだ。ど正論。ぐうの音も出ない。だが、本当にすべてがそうなのだろうか。

 確かに、自分に起こりうる不利益というものは自分で回避するというのが基本的な原則だろう。だが、だからといってそれで「すべて自分が悪い」というのはあまりにも自虐的ではないか。

 たとえば、いわゆる自己責任論ですべてがすべて自分の責任で処せるわけではない。生きていればいつかは予期せぬことに出くわす。起こり「うる」ことを考慮し、社会福祉という相互扶助のシステムを作り、いざとなったら安全を保障する。すべては個々人の責任に還元できないし、現実の社会制度としてされてもいない。

 とはいえ、難しいのはすべてがすべて社会が安全を保障しているわけではないことにもある。現代の社会は、適度に上手く競争させたり、自由に物やサービスを売り買いしていくことで成り立っている。こうした状況は経済思想的には、社会主義資本主義の対立というよりも、修正資本主義といえる。

「すべて自分が悪い」から「変えられる自分から変えていく」

 とはいえ、「誰かがやってくれる」という他責思考もよくない。この発想から強い自己責任論を擁護することもできる。確かに、「わたしのせいじゃない」といつもいつも責任を免れる姿勢もよいとは思えない。だが、「あなたのせいだ」という自己責任論もまたその語り手の自己責任から逃れる口実にもなっているとしたらどうだろうか。意図せぬ効果を考慮にすること、それが自己責任論ではなかったのか。

 どうこの頓着した状況を脱するか。私見では、「変えられる自分から変えていく」、つまり“Do it yourself”と“All by myself”の精神を組み合わせるのがいい。誰かがやらないなら「自分でやる (Do it yourself)」、そうしてやったことに対し「自分でやった (All by myself)」と引き受ける、そうして試行錯誤しながら自分をアップデートしていく。

「この世の不利益は当人の能力不足」は確かに強いことばだ。真実味がある。けれども、それは誰かの責任を問いつめるのではなく、わたしを変えていくことにこそその確からしさがあるのではないか。「自分」という身体、あるいは器はそう簡単には変わらない。あらゆる経験は「自分」を通す。そう考えると、「この世の不利益は当人の能力不足」は身が引き締まる考え方として再解釈できる。

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