ポストモダンなYOASOBIと、「夜ふかし」についての雑感

 昔から「YOASOBI」に覚えていた違和感があった。

 ざっくりその違和感を言えば、彼らの原作を元にした楽曲は流通可能性を先に織り込んだもので、そこで生まれる観客との関係はややもすれば設計された「戯れ」であることにある。

 小説があり、音楽化され、共感として消費される。つまり、彼らの楽曲体験には観客との緊張感がない。共謀的関係になっていない。

 作品のイメージを元にした二次創作と他者が欲しがるように仕向けられた欲望(再帰的欲望)を織り込んだものだから、そこにはいわば「現実」がない。

 最初から感情・イメージ流通のルートが織り込まれることで、わちゃわちゃとあーでもないこーでもないと「戯れる」ことに最適化されている。現実そのものはもちろん、コミュニケーションの現場で起きる傷つくリスクや予定調和をはみ出すノイズがない。これ自体、YOASOBIだけではなく、今の流行り物にも、人々の振る舞いにもたくさん見える。

 きっと、傷つくことを恐れる現代社会が求めた「新しい現実」の形そのものを表しているんだろう。ナルシシズムの殻に閉じこもり、他者とのヒリヒリした緊張感を避ける世界への最適化が進んでいる。

 じゃあ、そんな状況を踏まえて、どうやって「現実の手触り」を回復するのか?

 予定調和で誰も傷つかない心地よさではなく、痛い失敗や現実の残酷さも踏まえて、関わることで関係性が変質してしまうような「共謀」の場はどうすればつくれるのか。

 そんな個人的な問題意識(と少しの苛立ち)も引きずりながら、いま「夜ふかし大学」という企みを仕掛けています。

 ところで、基本的に「夜ふかし」は近代社会の賜物であって、ある意味でYOASOBIはポスト近代を象徴しているんだろうなと思っている。大学には「夜ふかし」できる場がもっとあるといいと思うけど、きっと「昼間」のどうしようもなさとセットで「夜あそび」の体験を作らないといけないんだろうなぁ。

※YOASOBIは時代の必然みたいなものだから、むしろ学ばないといけないって意味で、「夜あそび」をつくらないといけないと思ってます。

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