最近、AIが長文を瞬時に要約・咀嚼してくれるわけですが、タイパ(タイムパフォーマンス)意識がまたさらに加速しているんでしょうか。「いやいや、むしろやること増えたでしょ」と思う方はぼくの仲間です笑
一方で、ぼくたちは「読む」という行為の目的を、手っ取り早く有益な情報を回収することだとついつい思いがちです。けれど、ひとえに「読む」と言っても文脈をたどればキリがなく、読書沼にハマってしまえばまるで沖の見えない海の地平成に向かって泳いでいるような、あるいは深海へと深く潜ってじっと息を呑むような感覚に陥ることさえあるほどです。
そうです。読むことはもっと豊かで、果てのない行為であるはずです。何かをつくるためという目的から少し外れて、ただただテキストの海に潜ること。そっとアンテナを張り巡らせていくこと。それがぼくの思う「読む力」、あるいは「生み出す力」のすべての出発点です。
まずは、情報を浴びる
読むことの第一歩は、とにもかくにもことばのシャワーを全身で浴びることです。効率よく理解しようとするフィルターなんて取っ払ってしまいましょう。大量に読む前に効率なんてぶっちゃけどうでもいいことです。
逆に言えば、最初から著者の意図を完璧に掴もうとしたり、すぐに役立つノウハウを探そうとしたりしなくていいんです。文脈の波に身を任せ、違和感や共感を覚えるフレーズがあればただ印をつける程度で、とにかく立ち止まらずにテキストの中を進んでいきましょう。批判や分析を急がず、大量の書物に溺れるような感覚の中でしか、立ち上がってこないものがあります。Never give up!
点と点をつなぎ抽象化する
情報を浴び続けていると、やがてバラバラだった知識情報が、頭の中で不思議な化学反応を起こし始める瞬間があるはずです。「あの本で言っていたことと、この論考の根底にあるルールは同じではないか?」「一見まったく違うテーマなのに、漂う空気や前提が共通している」──。
そんな風に、異なるテキスト同士の関連性が見えてくる瞬間、ぼくは超快感です。大量に読むからこそ、磨き上げられる抽象化と具体化のプロセス。表層的な情報を一段高い視点から眺め、逆に俯瞰視点を一度削ぎ落として純粋に目の前の出来事や人々の歩んだ人生、社会に刻まれた歴史と向き合う。そうすると、見えなかった歴史・社会文化の実態や、隠された文脈が思考と行動を枠づけるものとして現れてきます。
クリティカルな象徴を掴む
知識情報の網の目を広げていくと、「これこそが今の自分の違和感や社会の課題を最も象徴している」「自分が探していたモヤモヤの正体はこれだ」と直感する、鋭い一点に突き当たることがあります。
すべてを網羅し、きれいに整理する必要はないです(つまり、積読こそ自由の象徴!笑)。無数の情報の中から、最も深く刺さるクリティカルな「問いの種」をたった一つでも掴み取れれば十分──いや、そこまで掴めたのならそれ以上の収穫です。情報を受動的に受け取るだけの読書から、自らや歴史的な文脈へと引き寄せる能動的な読書へと切り替わっているからです。
ピント合わせは「書く」に委ねる
掴み取った問いの種は、その時点ではまだ輪郭がぼやけているかもしれません。けど、そんなもんです。「読む」フェーズで無理に結論を出したり、完璧な思考を組み上げたりする必要はありません。
思考のピントを合わせ、曖昧なモヤモヤに確固たる輪郭を与える作業は、次の「書く」へ地続きに委ねていきましょう(どうせ読むに戻ります!)。
だから、まずはただただ読みましょう。書くために読み、読むために書く。思考の解像度を上げるための準備運動として、終わりなき「読む」の海へLet’s DIVE。