ことばとはなにか──いろいろな「ことば」の姿や意味

 ことばとはなにか。日常的な語彙を問おうとすると、意外に難しい。そこでまずはことばに関する表現を確認してみる。 たとえば、「コトバ」だったり「言葉」だったり、 もしくは「言霊(ことば)」なんてルビを振ってあることもあれば、 “word”とか“language”といった外国語に、 もしかしたら「ボディランゲージ」「アイコンタクト」も「ことばだ!」かもしれない。

 書かれている文字も「ことば」であれば、話している声も「ことば」と言える。他にも、「ことば」を理解したり使ったりする上で文法だ。 文法と聞くと学校の授業で習うようないわゆる「文法」を思い浮かべる人も多いだろう。では実際に”This is a pen”と話したり書いたりする人はどれだけいるかというと疑問に思わざるをえない……。

「若者言葉」とか世代の違いだったり住んでいる地域や身近な友だちの口ぐせなんてもの、いわゆるそれぞれの話し方や書き方といったスタイルがある。そのスタイルはいつもいつも同じように使っているわけではなくて、家族だったり先生だったり見ず知らずの人だったり、誰に向かって話すかや時と場所によって自然と変わっていることがほとんどだ。

 そう考えていくと、ことばは自分の身の回りの環境、つまり社会だったり文化に影響を受けていることが分かる。「ことばとはなにか」という素朴な問いかけは抽象的で、次々に対象とする意味が広がってしまう。

「ことば」の意味

「君の言う『当たり前』ってどういう意味?」とかもっと限定して具体的な質問をしたらもうちょっと答えやすいだろう。抽象的に「ことばとはなにか」と聞かれてもというのが正直なところだと思う。実際、「ことばとはなにか」という問は哲学者が古来からずっと議論し、今でもみながみな納得できるような答えがあるわけでもない。よく考えてみるとぼくらが知らないことってのは案外まだまだたくさんある。たとえば「人間とはなにか」とか「心とは」とか「愛とは」とか。

 これらの問いには、それが問われた文脈に応じた応えはできる。とはいえ、みなに共通する答えを導くことは難しい。こうした問いは、分からないからこそ考える価値があるし、分からないことこそが面白い。そうぼくは思う。分からなくていいというよりは、分かるってことは次の「分からない」が見つかることでもあることがたいていだからだ。ぜひ、普段なにげなく見過ごしてしまっているものに目を凝らしてみてほしい。色眼鏡で見てしまっていることを自覚して、好奇心を忘れない。それがとても大事なことだ。