「AIが『考えない』ことを考える」を補足する──詩学、機械、身体性

 以前、「AIが『考えない』ことを考える」という生成系AIに関するイベントのレポートを書いた。このレポート記事にぼくが記したのが、機械的な予測能力を高めたTransformerというChatGPTの技術モデルから人間の言語コミュニケーションにも近しいモデルを考えることができるというものだった。人間のようには考えないChatGPTから人間も考えないで学習する言語コミュニケーションのメカニズムを「考える」ことができる。そういったややアクロバティックな論点を述べた。

 けれども、ChatGPTと人間は異なる。記事ではイベントレポートという性質上、その差異には踏み込んで論じることができなかった。そこでこの記事では言語人類学的な詩学の議論を補足しつつ、機械と人間の差異について論じたい。以下、レポートの内容と一部被るもののあらためてAIが「考えない」ことを考えてみたい。

ChatGPTとTransformerモデル

 まず、ChatGPTとその技術モデルであるTranformerとはなにかを簡単にまとめる。ChatGPTは文章を生成するための特徴を学習し、出力することができる。けれども、それはただマシンパワーで「予測」する能力を無理やり高めているだけであって、AIが人間のように考えているとは言えない。ChatGPTそれ自体に人間のような「知性」があるわけではない。

 ではあたかも人間のような文章をChatGPTはどう生成するか。ChatGPTは、人間がつくった文章の特徴を無限に学習し、人間の投稿に応じて学習したデータベースからその都度その都度の文章を生成する。

 この技術モデルがTranformerだ。Transfomerモデルでは、文章を行列に変換し、異なる行列と行列の差異を比較し、そこからもっとも適した行列の予測制度を高めていく。つまり、Transformerを技術モデルとするChatGPTは文章や文字を行列に変換し、文脈に即した注目点を学習しながら予測精度を高める。この議論の詳細はイベントレポート記事を参照してほしい。

Transformerと詩的機能

 Transfomerは詩的機能と言語人類学の発想と近いことをレポート記事では指摘した。記事では詳細は書かなかったため、その近しさを示すためにも詩的機能についてもう少し説明したい。詩的機能はごく単純には反復を原理とする1。たとえば、俳句は「5・7・5」という音節と季語で成り立つ詩の一形態だが、こうしたパターンとその組み合わせが反復することによって人々はそれが「俳句」だと認知できる。こうして反復によってメッセージが強調されるというわけだ。

 ここでは俳句を例にしたが、詩的機能は反復を基本としたコミュニケーションの一つであるため、その対象は詩に限らない。ほかにも、言語の文法、あいさつといった会話のやりとり、あるいは教室の椅子の並びなど、反復により浮かび上がるメッセージは世界に遍在している。たとえば、朝8時に「おはようございます!」とあいさつして「こんばんは」と返されたら変だと思うだろう。普通は「おはよう」には「おはよう」と返す。このように人々はことばや行為に対する無/意識的な規範も日常生活を通して身につけていく。つまり、日常的な繰り返しによってその一貫性を認知したり、逆に言えば非一貫性も感知したりする。こうした無/意識の成り立ちも詩的機能から捉えられる。

 この詩的機能はかなり抽象的に定義される。この定義が示す記号のプロセスは次の図のように示せる。

等価性の原理を選択の軸から結合の軸に投射する

The poetic function projects the principle of equivalence from the axis of selection into the axis of combination

Jakobson (1960: 358)
図1 詩的機能のモデル

 図1のY軸で示した範列は語彙のデータベースだと想像してもらうとわかりやすい。たとえば日本語での一人称を示す語彙は「わたし」「あたし」「ぼく」「わし」など無数にある。一方、X軸上の連辞は談話を指す。「わたしお腹空いた」や「わし減った」などの連続的な記号≒談話にはY軸の範列から語彙が選択されている。これをまとめると「選択の軸から結合の軸に投射する」という詩的機能の定義となる。言い換えれば、文脈から意味を、あるいは地から図を浮かび上がらせるのが詩的機能である。この二つの原理の組み合わせが詩的機能によるメッセージ強調のメカニズムというわけだ。

 では、詩的機能を扱う言語人類学ではどのように人間の言語コミュニケーションのメカニズムを捉えているか。たとえば、どう言語を習得したか、幼稚園児のときでもいいし、英語など外国語を学習するときなどを思い出してみてほしい。人間は学校で習うような、あるいは言語学で論じられるような抽象的な文法を意識的に把握して言語を学習するわけではない。かといって、「おはよう」に「こんばんは」を返すのがおかしいと思うように、規則的な文法や応答には一定のパターンがある。このパターンに沿っていると思えれば、なんとなく会話できるし、ある程度は意味が捉えられる。

 従来の科学的・理性的な言語理論は、この人間が日常的・動物的になんとなく言語を学習する点を積極的な考慮に入れてこなかった。言語人類学では、こうした言語コミュニケーションに伴う不可避のズレを考慮に入れなければ、言語の生成メカニズムは捉えるには不十分であることを主張してきた。

 このパターンとズレを考慮に入れて言語コミュニケーションの生成と学習をすること、これがTransformerと似ているのだ。どういうことか。議論をあらためてまとめよう。詩的機能は、無数の記号列記号生成強調のメカニズムを指している。言語人類学では、人間が言語コミュニケーションする上でのパターンとズレの学習過程を捉えようとする。一方、Transformerは無数の行列べつの行列に変換し、注目点を学習する。確かにTransformerは人間のようには考えないが、人間も人間が理知的に想像するほど考えないで言語使用を学ぶ。したがって、考えないAIが成功したことと人間も考えないことの意味を「考える」ことができる。これがレポート記事の骨子だ。 

ChatGPTと人間の違い

 生成系AIと人間の言語学習には「考えない」という類似性がある。では、両者からはどのような違いが見出せるのか。Transformerモデルを用いたChatGPTはただ無限に細分化された記号と記号のつながりを学習し、出力している。つまり、あくまでも記号と記号の関係から次なる記号を選択している。とはいえChatGPTにはなにかを選択「したい/したくない」という欲望がない。その点、生成系AIには自我がなく、機械的な超自我しかない。超自我とは精神分析の用語で自我を抑圧する社会的な規範を指している。そのため、機械がデータ処理を施すためのプログラミングコード≒超自我であり、言い換えれば機械的な規範しかないと捉えられる。一方、人間は欲望し、自我と超自我を飼い慣らす。

 突然だが、クレヨンしんちゃんの有名なやりとりからそのことを考えてみたい。しんちゃんは帰宅した際に「おかえり〜」と言い、母のみさえに「ただいまでしょ!」とツッコまれ、しんちゃんは「そうともいう〜」と返す。これがお決まりのパターンだ。人間はこうした社会的なやりとりを介して、規範を身につけたり、しんちゃんのように破ったりもする。ルール≒規範を破れば、ときにしつけされる。

 人間は「お約束」とされたコミュニケーションゲームをつくるし、それを変えることもできる。対して、機械は計算による予測と処理によってゲームを遂行する。言い換えれば、人間は偶然的な世界から絶えず「選択」をして/されてしまうが、機械には必然的な世界から「処理」することしかできない。人間は偶然と必然が絶えず交叉する世界で生きる。その過程で規範を身につけたり、思考を促されたりする。ときに異なるものとの出会いに葛藤し、ときに統合する。それらのなかには習慣をはじめ無意識的に身体化されるものもある。けれども、機械に人間のような身体性に基づいた複雑性は少なくともまだない。なぜなら、機械には人間のような欲望はないし、身体といった感覚器官≒入力装置も同じではない。

 人間と機械の差異はその「器性」にある。だとすれば、ChatGPTと人間の言語学習能力が似ていたとしても、器に応じた違いも見出せる。これがイベントレポートでは紹介しきれなかった点だ。ChatGPTが技術モデルとするTransformerはAttention(アテンション)と呼ばれる特徴を持ち、膨大な機械的な処理によって予測能力を高め、関連する文字を文章として出力する。一方、人間は生活のなかで言語を学習し、その過程でほめられたり、突っ込まれたり、しつけられたりしながら、自我と超自我をつくりあげていく。この器性の違いは、記号生成以上のなにかをもたらす。それはぼくが研究する自己責任論とも関係していく。次の記事では、より一歩踏み込んでAIが「考えない」ことを考えてみたい(つづく)。

参考文献

Jakobson, Roman (1960). Closing statement: Linguistics and poetics. In Sebeok, Thomas A. (Eds.) Style in Language, pp. 350-377. Cambridge: MIT Press.

 

  1. 詩的機能は、ロシアの言語理論家ローマン・ヤコブソンによって提唱された言語コミュニケーションの機能のひとつである。ヤコブソンは詩的機能を中心に論じつつも、全部で6つの機能が言語コミュニケーションにははたらいていることを論じた。 ↩︎