言語学を深めるデメリット──4つのストレスから学ぶ言語学

 第1回2回3回と言語学を学ぶメリットを語ってきた。けれども、「言語学を深めるデメリット」を語らないわけにはいかない。あえて「ことばを深めるデメリット」ではなく、「言語学を深めるデメリット」とした。 『語彙力こそが教養である』なんて本も出ている通り1、さまざまなことばを知ることはそれだけ世界が広がっていることで基本的には悪いことではない。 だが、「言語学」という学問になったとき、一概に「言語学は素晴らしい!」「みな学ぶべきだ!」などと声高らかに叫ぶ気にはあまりなれない。そんな「言語学を深めるデメリット」としてある4つのストレスを黒田龍之介著の『はじめての言語学』を参考に紹介しよう。

学問の特徴と言語学

 その前にちょこっと、そもそもである学問の特徴について触れておきたい。 「学問とはなにか」と言えば大きく3つの共通する特徴がある2

  1. 問題意識
  2. 創造性
  3. 真理の探究

 言語学も当然、これら3つの特徴のもとに、ことばを中心にして研究する学問だ。人によって問題意識が異なれば興味・関心も異なり、同時に問題意識に基づいた真理への探求精神も異なる。なので、言語学とつく限りはことばを中心にするわけだが、ことばは誰しもが日常的に使うわけで、そんな一つひとつの話し手にとってはどうでもいいことばの端に突っ込みたくなるのが言語学者というものだ。さらにやっかいなのが、「3. 真理の探求」で、とにかく「正しいか正しくないか」「客観的かどうか」の点についてこだわるために、段々と偏狭な考えに陥ってしまう傾向がある。

言語学に対する4つのストレス

 こうした前提の元、以下、4つのストレスが浮かび上がってきてしまうわけだ。

  1. イメージを否定されるストレス
  2. 用語の厳密さに対するストレス
  3. 枠にはめられるストレス
  4. 日常のことば遣いに対して指摘されるストレス

順に見ていこう。

イメージを否定されるストレス

「ことば」というものの中には書き言葉や話し言葉も含まれるわけだが、どちらもまったく知らない・使えないという人はほとんどいないだろう。特に日本人であれば、初等教育が行き届いているためにほとんどの人が「ことば」を使えると思うし、なんなら自負を持っている人もいると思う3

 けれど、言語学を知っている人はそう多くはない。二つ目の「用語の厳密さに対するストレス」ともつながるのだが、その人なりに持っている「ことば」に対するイメージを言語学的にはナンセンスなものとして否定する場合がある。

用語の厳密さに対するストレス

 あくまで言語学は学問のため、用語は厳密に定義して慎重に使おうとする。 方言の特徴はなまりとも表現されるが、社会言語学的に方言を言語変種と呼ぶ。方言と対になって一般的に使われることばに標準語もあるが、これも言語学的には使われないことばになる。というのも、何を持って標準とするかの基準を確定することは非常に難しいし、あくまで標準と定めたのは行政府といった権力を持つ人びとが行ったことだ。

 これは、「正しい日本語」とされる敬語にもそうした人びとの思惑や価値観が入り込んでいて、要するに「ことばに対する正しさ」には政治的な要素が入り込んでいる。 このように、言語学だからこそ、日常に当たり前に使われていることばに対してこだわりがあるわけだ。

枠にはめられるストレス

 ここで言う「枠」とは言語学的な考え方のことだ。たとえば、一部の言語学では「言語を持っているのは’人’だけである」という考え方を持っている。そうすると「うちのイヌは家族とちゃんとコミュニケーション取れます!」と反論される可能性もあるし、超音波でコミュニケーションを取るイルカはどうなんだとか、蜂がダンスをすることで花粉といった資源の場所を伝えるのはどうなんだという疑問を持つ人もいると思う。

 こういった分野はどちらかと言えば「記号論」と呼ばれる分野に属していて、もちろん一部の言語学は大きく関連している側面もあるのだけど、基本的には言語学においてあくまで「言語を持っているのは人だけだ」と考えるのである。 少し夢がないかもしれない。

日常のことば遣いに対して指摘されるストレス

 ぼくは談話分析と呼ばれる分野を専門としているため、特にこの4つ目のストレスに関してはよく友人や家族に指摘される。というのも、直接的に会話しながら「こういう発言をこの環境・文脈でするということはこういった価値観を持っているんだな」ということを日常的に考えていて時に指摘するため、しぶがられるのだ。

 他にも、ら抜き言葉であるとかをことばの乱れと揶揄する風潮がある・あったと思うが言語学は「ことばの乱れ」ではなく「ことばの変化」と捉える。「乱れ」と指摘することばのチョイスに指摘した人の価値観が含まれてしまっている。 こういった言い方はあまり言語学的にはしない。

まとめ

 ここまで学問の特徴から言語学に対する4つのストレスを紹介してきた。 物事というのは基本的には表裏一体の関係であって、良いこともあれば悪いことも当然ある。言語学としてのあり方を保つ一方で、捨てられた日常の些細なやり取りがある。今回、黒田龍之介著『はじめての言語学』において紹介された4つのストレスを取り上げたが、この本で語られる言語学はいわゆる一般言語学と呼ばれるものを中心に語られていることも指摘しておきたい。

 4つ目のストレスにあった通り、言語学においては価値観に踏み込まないようにするのが基本的な姿勢であるが、ぼくが専門としている言語人類学的な語用論談話分析と呼ばれる分野ではその価値観に踏み込んだ議論をする。 学問の特徴において「問題意識」を第一にあげたが、結局のところ問題をどのように設定し、何を目指すかによって研究姿勢も異なることも当然あるわけだ。 ここまで言語学を学ぶ上でも「デメリット」としたが、結局のところはその人次第でメリットにもなる。

  1. 「教養」をメインテーマとしている自分としては直感的には同意できる側面もある一方、「語彙力があれば教養を得られる」というような印象を与えかねないタイトル付けには違和感がある ↩︎
  2. 「学問って何?」という疑問にズバリ回答!―高校と大学との決定的な学びの違い │ 入門学術メディアShare Study ↩︎
  3. 「日本人」はなどとサラッと使ったけども、この表現には少し問題がある。分かりやすさのために便宜的に使ったけども、日本の中には在日の日系ブラジル人など多種多様な人びとがいて、そうした人びとを捨象してしまうのもことばの魔力の一つだ。 ↩︎