「社会を変える」と「文化をつくる」の違い

 最近、特に意識して「社会を変える」と「文化をつくる」ということばを使い分けるように気をつけている。どっちも同じように思えるかもしれない。明確に違うと思う点についてまとめてみたい。

社会と文化の捉え方

 ざっくりとまとめると以下のように異なる意味を持つはずです。

  • 社会を変える:既存のものを恣意的に変えようとする意志が前面に出たことば
  • 文化をつくる:既存にない価値観を持つ一定の共有知を紡ぎ出そうとする意志が前面に出たことば

「社会を変える」に込められたニュアンス

 社会とはなにか。社会は「集団の総体」です。つまり、社会は「有機的につながった人びとのシステム」です。「社会を変える」ということばについて考えると、今あるそれぞれの個人・集団の生活システムを変えてやろうと捉えることができるのではないか。自分が生きている世界は社会的に誰かが作ってきたものだから必ずしもそれが悪いわけではない。

 一方で考えてしまうのは、「社会って変えてやろうとして変えることができるのか」という点だ。社会ってのはシステムのことだと言ったように、システムは自分の思いがけないところで常に蠢いて変わり続けている。だとすれば、自然と変わっているものなのに自分なりの「よい」とするものを目指しているという「固定的な」視点がどうしても浮き彫りになる表現だなと感じてしまう。

「文化をつくる」に込められたニュアンス

 社会が人びとの生活の総体を形作るシステムだとすれば、文化とはその中で身につける精神的・身体的な「振る舞い」という風に捉えることができないか。つまり、社会とは外部的なもの、文化とは内部的なものと捉えてみる。社会と文化のお互いがお互いに完全に独立しあっている存在しているわけではなく、絶えず二つは関係しながら形づくられている。

 ここで両者を意識的にわけて考えるのは、それぞれのコアとなる概念の違いを浮き彫り立たせるためだ。とすると、「社会を変える」ということばは外部にある構造を変えようとするニュアンスが強い一方で、「文化をつくる」とは内部に宿る価値規範をつくろうとするニュアンスが強いものとして考え直せる。

まとめ

「社会」と「文化」という至極当然にあると思われている抽象的な概念を定義することは難しい。二つのことばに意味が重なってしまうように、定義は意味を狭めてしまう。議論する上では概念定義はせざるを得ないが、定義すればいいというわけでもない。

 というのも、二つのことばの違いを捉えて、あえて「社会を変える」ではなく「文化をつくる」と表現する意味を探ろうとしたからだ。文化をつくるという表現に肩入れしたのは、クリエイティブでありたいというマインドを持つからかもしれない。システムを変えるよりも、それぞれの人の胸に宿る主体性を尊重したいからかもしれない。あくまでもぼく個人として意識して使い分けたいことばにしたいと考え言語化した。また改めて考えたいトピックだが今日はこの辺で。ではでは。

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