日常を織りなすメディアを見つめ直す──媒介するメディアとは何か

 メディアとはなにか。「ことばとはなにか」、「言語学とはなにか」といった日常的な語彙を問うことは意外に難しい。あれもメディア、これもメディア。メディアといって挙げられるもものはたくさんある。

  • 電話
  • 郵便物
  • ラジオ
  • テレビ
  • 新聞
  • パソコン

これらはサッと思いつく方も多いだろう。 けれど、他にもまだまだ挙げられる。

  • 文字
  • 音楽
  • 画像
  • 写真
  • 映像

もメディアと言えるのだ。 あれもメディア、これもメディア状態である。

メディアに共通するもの

 二つのグループに違いがある。最初のグループは何かしらの情報を伝えるものである一方で、次のグループでは情報そのものなのだ。よくメディアとして思い浮かべるものは最初のグループにあったもののはずだが、実際には情報そのものも「同じ」メディアとしての役割を果たしている。では、ここまで挙げたメディアに共通するものとはなんだろうか? ごく短い言葉で表現してしまうとこうなる。「メディアとは媒介である!」

メディアは媒介する

「手段」ではなく「媒介」としてのメディア

 メディアにおいてなされているのは、誰の目に見ても明らかに何かしらの情報を伝えるということだ。メディアはコミュニケーションの手段と捉えることもできる。だが、そう考えてしまうとメディアというものをやや一面的に見てしまっている。最初に取り上げたように、今の時代はすでにあらゆるところに媒介手段としてのメディアが存在している。そうすると、あくまでもコミュニケーションをする上で前提となるものがメディアという風に思ってしまいかねない。実際、新聞メディアといったものの登場を機にメッセージがどのように発信・受信されているか、さらにはどんな影響を与えているかを探求するマス・コミュニケーション研究が登場した中で、媒介としてのメディアというよりも手段としてのメディアというものが意識されるようになっていった1

メディアの語源

 けれど、メディアということばが登場した初期である16世紀後半にはコミュニケーション媒体といった意味に限定されていたわけではなかった。 メディア(media)はラテン語のmedium(意味:中間の)ということばから派生したもので、あくまでも何かしらの中間に立って媒介するものとして用いられていたことばだったわけである。

まとめ

 メディアを考えることは厄介だ。「媒介とか中間って具体的な物じゃないのかよ!」 と思わずツッコミを入れたくなるかもしれない。ことばのように今、目の前で読んでいるものという具体的な物であればまだ捉えやすいことと思う。 だがしかし、目には見えないからこそ意識的に見てみることも時には必要なのだ

 そうでないと、いつの間にかメディアに価値観を作られたり、視野を狭められたりされるといったように遊ばられてしまうかもしれない。ぜひ、そんなメディアの存在をフッと意識してみてほしい。思わぬ発見、そして新しい世界が垣間見えることはずだ。

  1. 吉見俊哉(2012)『メディア文化論 メディアを学ぶ人のための15話↩︎
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