プロフィール写真変更という儀礼

そういえば2019年のプロフィール写真を変えていないなと思い立った。が、今年はとにかく引きこもりの生活を送っているので何か写真を撮る気持ちになれない。けれども、部屋の整理整頓からアナログ・デジタルの資料整理を行なっていたら気分転換をしたくなってプロフィール写真を変更した。

この写真は僕が大学1年生のころにはじめての海外旅行先であるカナダで友人に撮ってもらった写真である。なぜこの写真にしたかというと、「大学1年生から大学2年生への移行期の気持ち」を喚起したかったからだ。当時は、富士山の山小屋バイトで稼いでお金で念願のミラーレス一眼を手に入れ、やっとこさの初海外を果たせたときでもあり、また大学2年生に向けて助走をつけていた時期だった。

しかし、この先、「大学2年生」に待ち受けるさまざまな出来事が今の僕に至る大きなきっかけだった。ゆえに、僕にとってはこの写真は比較的「真っ新」な自分をどこか掘り起こす。

「写真」は、止めることのできない「時」をそのレンズを向けた者のまなざしと世界との間から切り取られたものだ。だから、「レンズを向ける」という行為はその人の欲望を如実に投影している。

少し考えてみると、それを「プロフィール写真」として選定する話者のアイデンティフィケーションがなされていると言えるのだと思う。

こうしてさまざまなデジタルメディアの環境下の中で僕らは自らを複製し続けている。プロフィールとして自我を保つことはある種の現代的な儀礼だろう。

ここ最近は、ネット上で目にする「顔」のうずにやられている。誰しもが主人公とばかりさらけ出される言説と、それとは無縁な日常の生活を送る人々のギャップにも目が眩む。これはおそらく自分にも刺している批判的意識だ。

「良いもの」を作り続け、残し、社会文化的なものへと循環・変換していくための、糸口がなかなか見出せないことがもどかしい。今年は「大学1・2年生」のようなうざったさを自分で鼓舞しつつ、やれることを積み重ねていきたい。