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批判と非難の決定的な意味の違い―批判は思いやり、非難は押しつけ

投稿日:2016年5月3日 更新日:

「批判」と「非難」。これらの言葉をどうとらえているのかによって、議論の方向性が決まるといっても過言ではないでしょう。

議論する力を身につけることはあらゆる人にとって有益なものとなっていくものだと思います。その力を磨くためにも、まずは「批判」と「非難」がどのように違うのかをLet's think!

「批判/非難」につきまとう恐怖を乗り越える?

ども!非難は好きになれないけど批判は大好きなとしちる@ture_tiru)です。

自分の意見や行動を「批判/非難」された時に「胸がキュッと締め付けられたようになる」経験をしたことがある人もいるでしょう。

僕はあります…

やっぱり今まで自分が考えてきたものを「批判/非難」されるのは、どことなく自分の価値を「否定」されているように捉えてしまうかもしれません

もしくは、自分が「批判/非難」をされていないとしても誰かがそうした目にあっているのを見て、嫌な気持ちになる人もいるかもしれません。

ですが、これらの言葉は似ているようで決定的な違いがあるのではないでしょうか?

もし「批判」と「非難」の違いをしっかりと捉えることができれば、ある種の「恐怖」から解放されるかも…?

ちょっぴりシビアな話なので以降はつい丁寧な感じで書いちゃいましたがどうぞ…!

「批判」と「非難」の辞書的な意味

まずは辞書的な意味を確認してみましょう。

『批判』

[名](スル)

  1. 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
  2. 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
  3. 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

→批評[用法]

『非難』

[名](スル)人の欠点や過失などを取り上げて責めること。「不実な態度を―する」

引用:コトバンク-デジタル大辞泉「批判」「非難」

両者に共通しているものは何で、逆に言えば何が両者を決定的に異なる言葉にしているのでしょうか?

「批判」と「非難」の共通点

二つの言葉に共通しているのは、「価値判断」が含まれていることではないでしょうか?「価値判断」とは、ことの良し悪しを決めることです。

例えば、「あの人のした行動はおかしい」という文で考えてみます。

この発言を一言で表すとどうなるのでしょうか?おそらく、「批判」とも「非難」とも言えるような気がします。この短い文だけでは文脈が読み取れません。

文脈とは、「状況」のことですよね。

例えば、「あの人はテストでカンニングをした。だから、あの人のした行動はおかしい。」と言えば、「あの人」は「テスト」を受け、「カンニング」という不正行為をしたという文脈が生まれます。

実際にはもっと複雑ですが、いろいろな背景があるはずでそれを挙げていくとキリがないという側面があります。そうした背景があることを踏まえて、「おかしい」という価値を判断するところまでは「批判」と「非難」は共通していると言えるでしょう。

「批判」と「非難」の相違点

ですが、「批判」と「非難」は価値判断の仕方が決定的に異なります。

注目したいのは、先ほど挙げた『デジタル大辞泉』における「非難」でこう書かれていることです。

「人の欠点や過失などを取り上げて責めること。」

「非難」においては間違いなどを指摘し、「責める」ことが強調されています。

一方、「批判」を見てみると、「物事に検討を加えて、判定・評価すること。」とあるように、ただ指摘するのではなく「検討」することが強調されています。

「検討」するということはコミュニケーションをするということですよね。一方的に相手を「責める」だけではコミュニケーションになりそうにもありません1)広義のコミュニケーションでは「責める」もコミュニケーションですが、ここでは意思の疎通を図ったかどうか、できる可能性があるかという意味で「コミュニケーションになりそうにない」としています。

つまり、「批判」はコミュニケーションを前提として指摘することですが、「非難」では一方的な主張を押し付ける点で異なっているということが言えそうです。

まとめー非難ではなく批判を受け止める

「批判」と「非難」では問題を指摘しているものに対する「態度」が異なることが見て取れました。言うなれば、「批判」は相手を思いやるが「非難」は自身の意見を感情的にぶつけているとも言えそうです。

これは一見、似ているようでかなり異なった言葉ではないでしょうか?

この世にはどこか矛盾していることが往々にしてあります。学問といえどもでもそのおかしなところを完全に拭いきれていません。論理を突き詰めると、数学ですら完璧ではないのです。

もしそうなのだとしたら、ただ自分の主張を声高らかに叫ぶのではなく、まずはどうしておかしいと思うのかきちんと指摘すること、その上で「より良いもの」を目指してコミュニケーションすることが大切だと思うのです。

誰しも完ぺきではないと受け止めることから始まる「有益な批判」に自分自身、耳を傾けていきたいですし、そうしたことを言えるようにもしていきたいと思うのでした~

では!

関連サイト

僕が専門として学ぶ批判的談話研究(または批判的談話分析:Critical Discourse Studies―CDS)を中心にことばやコミュニケーションにまつわるさまざまなことを紹介・解説するサイト、『Discourse Guides』を現在進行系で作成中!

参考書籍

▼CDSの入門書(やや専門的で難しい)

▼CDSの基盤となった哲学(本記事の「批判」とは異なる意味合いを持つ。が、僕個人としては本記事の意味で「批判」という概念を根本的に捉えている)

注釈   [ + ]

1. 広義のコミュニケーションでは「責める」もコミュニケーションですが、ここでは意思の疎通を図ったかどうか、できる可能性があるかという意味で「コミュニケーションになりそうにない」としています。



学ぶ編集者

としちる

日本サッカー協会に入るため筑波大学体育専門学群を目指すも、受験前に父親が逃亡し、やむなく部活を辞める。教材費と受験費を稼ぐためにバイトしながらの宅浪生活を2年間送った後、国際総合学類に入学。タイにて日本語指導と留学も経験。帰国後、「人から始まる学問の見える化」を旗印とした『入門学術メディア Share Study』を創設。運営サイトは4つ、記事執筆数は250以上、イベント運営に携わった数は50以上(17年8月現在)。最近、VALUも動かしてます。

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