批判と非難の決定的な意味の違い──批判は思いやり、非難は押しつけ

 批判と非難。これらの言葉をどうとらえているのかによって、議論の方向性が決まるといっても過言ではない。議論を相対化するためにも、まずは「批判」と「非難」がどのように違うのかをLet’s think!

批判・非難につきまとう恐怖を乗り越える?

 ども! 非難は好きになれないけど批判はわりと好きなとしちる@toshitiru)です。自分の意見や行動を批判・非難された時に「胸がキュッと締め付けられたようになる」経験をしたことがある人もいるでしょう。ぼくはあります。やっぱり今まで自分が考えてきたものを批判・非難されるのは、どことなく自分の価値を否定されているように捉えてしまうかもしれません。

 もしくは、自分が批判・非難をされていないとしても誰かがそうした目にあっているのを見て、嫌な気持ちになる人もいるかもしれません。ですが、これらの言葉は似ているようで決定的な違いがあるのではないか。もし批判と非難の違いをしっかりと捉えることができれば、ある種の「恐怖」から解放されるかもしれない。

批判と非難の辞書的な意味

 まずは辞書的な意味を確認してみましょう。

『批判』

[名](スル)

  1. 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
  2. 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
  3. 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

→批評[用法]

『非難』

[名](スル)人の欠点や過失などを取り上げて責めること。「不実な態度を―する」

引用:コトバンク-デジタル大辞泉「批判」「非難」

両者に共通しているものは何で、逆に言えば何が両者を決定的に異なる言葉にしているのか。

批判と非難の共通点

 二つの言葉に共通しているのは、価値判断が含まれていることです。価値判断とは、ことの良し悪しを決めることです。たとえば、「あの人のした行動はおかしい」という文で考えてみます。この発言を一言で表すとどうなるのか。おそらく、「批判」とも「非難」とも言えるような気がします。この短い文だけでは文脈が読み取れません。

 文脈とは状況のことです。たとえば、「あの人はテストでカンニングをした。だから、あの人のした行動はおかしい。」と言えば、「あの人」は「テスト」を受け、「カンニング」という不正行為をしたという文脈が生まれます。実際にはもっと複雑ですが、いろいろな背景があるはずでそれを挙げていくとキリがないという側面があります。そうした背景があることを踏まえて、「おかしい」という価値を判断するところまでは批判と非難は共通しています。

批判と非難の相違点

 ですが、批判と非難は価値判断の仕方が決定的に異なります。注目したいのは、先ほど挙げた『デジタル大辞泉』における「非難」でこう書かれていることです。

「人の欠点や過失などを取り上げて責めること。」

非難においては間違いなどを指摘し、責めることが強調されています。一方、批判を見てみると、「物事に検討を加えて、判定・評価すること。」とあるように、ただ指摘するのではなく検討することが強調されています。

 検討するということはことばのやり取りを論理的に行うということです。一方的に相手を「責める」だけでは、「実際のところどうなのか?(事実確認)」「どうすればいいのか?(規範)」という建設的なコミュニケーションになりそうにもありません。つまり、批判は論理的・妥当的なことばのやり取りを前提として指摘することですが、非難では一方的な主張を押し付ける点で異なっているということが言えそうです。

まとめー非難ではなく批判を受け止める

 批判と非難では問題を指摘しているものに対する態度が異なることが見て取れました。言うなれば、「批判」は相手を思いやるが「非難」は自身の意見を感情的にぶつけているとも言えそうです。これは一見、似ているようでかなり異なったことばだとわかります。

 この世にはどこか矛盾していることが往々にしてあります。学問といえどもでもそのおかしなところを完全に拭いきれていません。論理を突き詰めると、数学ですらすべてを統一できるような完璧なもの早々あるといえない。

 もしそうなのだとしたら、ただ自分の主張を声高らかに叫ぶのではなく、まずはどうしておかしいと思うのか丁寧に指摘すること、その上でより良いものを目指してコミュニケーションする姿勢も大切です。

 誰しも完ぺきではないと受け止めることから始まる有益な批判に自分自身、耳を傾けていきたいですし、そうしたことを言えるようにもしていきたいと思うのでした。では!

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