CDSを学ぶ意義―ことばに潜む無意識的な価値観や社会の構造を読み解く

批判的談話研究が持つ5つの基本的な考え方』という記事にて大まかにCDSが何を目指した学問なのか掴んでもらえたことだろう。今のところ一定の理論を持つわけではないが、共通して社会的立場の低い側に立った批判的なことばの分析をするのがCDSだ。 本記事では、専門として研究するほどではないが、CDSを学ぶことの意義を知りたいという人向けにざっくりと面白さと大切さを語ってみよう。

ことばに潜む無意識的な価値観に気づく

ことばを研究する学問は言語学なわけだが、そのまなざしはさまざまだ。 [kanren id="773"] CDSは特に社会言語学(その中でも社会学やメディア論に近い)という分野に属しており、大きな話で言えばことばと社会・文化の関係を、小さな話で言えばことばと対人の関係をよく観察し、紐解いていく。 例えば、「標準語」というものは厳密にはなく、制度や慣習といった何か(ここでは社会)が「標準」なるものを生み出しているというわけだ。 CDSでは、ことばの社会的関係を分析をするだけでなく、もっと踏み込んでことばに潜む「価値観」を読み解き、その間にある「力」を解体することで社会的不平等を緩和させることを目指す。 外にある抑圧的な権力や伝言ゲームにも似たことばの連鎖を読み解く姿勢を持てるし、自らもついつい自分の感覚で使ってしまうことばに気をつける癖を持つことができるだろう。 正直、日常的なことば遣いに注意を向け続けていくのは大変なことだ。だけども、時にさも当たり前に受け入れていたことが前提となって「正しさ」や「良さ」を押し付けていることがあるかもしれない。それはCDS自体もそのような可能性が十二分にあるわけだが、少なくとも自覚的であれることに、社会を紐解き、自分らしくよく生きるきっかけになるのではないだろうか?

多角的な視点を養う

ことばのやり取り、つまりコミュニケーションを起点にさまざまな複雑な関係が成り立っているのが現代社会だろう。 ニュースで報道されていることは本当なのか?その背景には何があったのか? いったい誰が何を目的にして報道しているのか?所属している組織は?個人の価値観は? こうした問いを持つ姿勢を持つことで、すぐに騙されたり影響されることもなくなるだろうし、多角的な視点を養うことができるはずだ。 多角的に物事を捉えられれば、日々の目線も少しずつ良い方向に移り、結果的に良い生き方に向かう土台となる考え方を持てるだろう。

他者とより良く生きる

結局のところ、生きることを考えたときに自分だけでなく、どうしても「他者」とどう向き合うかが問題になってくる。 CDSで直接的に他者との関係性を認識したり、良い関係を築けるとは言えないかもしれないし、むしろ無意識的なことばへのまなざしは時にそんな友人・知人との関係性に亀裂を生ませるものかもしれない。 だけども、「良さ」を求めるのであれば、やはり複雑な世界を紐解く姿勢を持つことはとても価値のあることだと思う。 皆が皆、そのような視点や姿勢を持つことはできないかもしれない。日々に追われる暮らしもある。 「それでも」とどうしても「他者」を気にしてしまうのなら、そしてその中に「良さ」を求めるのなら、抑圧に批判的でありつつも対話を重んじるCDSを学ぶことはきっとあなたの人生を納得あるものにしてくれると僕は思ってしまうのだ。 [box class="box32" title="批判的で対話的なCDS"] [list class="ol-circle li-accentbdr acc-bc-before"]
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