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「言語が違えば世界も変わる」は本当? 言語相対論(サピア=ウォーフの仮説)の正体

「エスキモーは雪を表すことばを何十個も持っているから、私たちとは違う雪を見ている」
「言語が異なれば世界は違って見える」

 そんなミステリアスな話を聞いて、ワクワクしたことはありませんか? これらは言語学で「言語相対論(サピア=ウォーフの仮説)」と呼ばれ、最も有名で、かつ最も誤解されているテーマの一つです。大変有名なので、これについて動画で解説しています。

言語が違えば世界も変わる?(は大嘘) 言語相対論の本当の射程
青山俊之のゆるす責任論|ことばと空気ゼミ、2026/01/07)

「『雪』の単語の話なんて、遠い国の話でしょ?」と思うかもしれません。ですが、実は私たちも毎日、この「言語の魔法」にかかっています。 たとえば、あなたが普段見ている信号機の「進め」。あれは「緑色」なのに、「青」と呼びますよね。もし、あの色が「青」に見えているとしたら、それはあなたの目がそう見ているのではなく、「日本語」がそう見せているのかもしれません。

この記事では、有名な「空のドラム缶」の逸話から、最新の認知科学が明かす「青信号の謎」「お湯と水の境界線」まで、言語が私たちの世界認識をどう変えているのか、さまざまな具体例とともに解説します。

言語相対論(サピア=ウォーフの仮説)とは何か?

 サピア=ウォーフの仮説とは、エドワード・サピアとその弟子ベンジャミン・リー・ウォーフによって提唱された、「言語構造が、その話し手の思考や認識に影響を与える」という考え方です。

エドワード・サピア(Edward Sapir; 1884 – 1939)
ベンジャミン・リー・ウォーフ(Benjamin Atwood Lee Whorf; 1897 – 1941)

この仮説には、大きく分けて2つのレベルがあります。

  • 強い仮説(言語決定論):
    言語が思考を「決定」する。「そのことばがなければ、その概念を認識できない」という極端な立場です。現在の言語学・心理学では、この説はほぼ否定されています
  • 弱い仮説(言語相対論):
    言語は思考や習慣に「影響」を与える。たとえば「色の名前が多い言語の話者は、色の識別に敏感」といったレベルの影響です。この弱い説は、現代でも支持されています。

「Empty(空)」と書かれたドラム缶の悲劇

 提唱者の一人であるウォーフは、元々火災保険会社の調査員でした。彼がこの説を論じる中に、ある工場での火災事故のエピソードがあります。

 その工場では、作業員たちが「ガソリンが入ったドラム缶」は「危険」と認識して近づきませんでした。しかし、中身を使い切り、「Empty(空)」という張り紙がされたドラム缶の近くでは、平気でタバコを吸ってしまったのです。

 物理的な現実を見れば、液体が入っている時よりも、空になって「気化ガス」が充満している状態の方が爆発の危険性は高いのです。しかし、人間は「気化ガス」という見えない現実よりも、Empty(空っぽ=何もない安全」という「ことばのラベル」の方を信じて行動してしまった。その結果、引火して爆発事故が起きました。

 ウォーフをはじめとした強い仮説を支持する人々は、こうした事例を見ながら、「言語習慣が人間の行動を支配しているのではないか」と考えたのです。

言語相対論の身近な具体例

「言語が思考を決定する」とまでは言えなくとも、人間の認識は驚くほどことばのラベルに左右されています。ここでは、日本語と英語の比較から見えてくる、代表的なズレを3つ紹介しましょう。

①「青信号」は青か緑か?(色の境界線)

 信号機の「進め」は、物理的には「緑色(Green)」に近い色をしています。しかし、日本ではこれを「青信号」と呼びます。

「名前が違うだけで、見えている色は同じでしょ?」

 そう思うかもしれません。しかし、メキシコの先住民族タラウマラ語(青と緑を区別する言葉がない言語)を対象とした実験では、興味深い結果が出ています。

 青と緑の中間色を見せたとき、青と緑の区別がないタラウマラ語話者は、物理的な色の波長に従って正確に色の距離感を認識できました。一方、青と緑言語的に区別する英語話者は、「これはBlue、これはGreen」ということばの境界線に引っ張られ、実際よりも色の違いを「遠い」と錯覚してしまったそうなんです。

 つまり、「ことばの区別がある人ほど、ありのままの現実が見えなくなる(歪んで見える)」という現象が起きていました。これは逆に言えば、知識情報がかえって現実を捉え難くする逆説的な現象と言えるでしょう。

②「お湯」は存在しない?(モノの認識)

 次に、水(H2O)の話をしましょう。 日本語では、冷たいものは「水」、熱くなると「お湯」と言います。

 しかし、英語には「お湯」に相当する単語はありません。冷たくても熱くても“Water”です。熱いことを伝えたければ“Hot Water”と言いますが、それはあくまで「熱い状態の水」であり、物質としての名前が変わるわけではないのです。

 アガサ・クリスティの小説には、ぬるい紅茶を出した新人に対して Water not boiling again!”(また沸騰してないじゃない!) と叱るシーンがあります。マレー語に至っては、氷・水・湯をすべて “air(アイル)” という一語で表すそうです。

 どこからが水で、どこからがお湯か。その境界線は私たちが使う言語が勝手に引いた線で変わってしまいます。

③サッカー実況に見る「視点」の違い

 最後は、もっと身近なエンターテインメント、サッカーの実況中継の話です。実は、日本と英語圏の実況スタイルには大きな違いがあり、そこから私たちの「空間認識」のズレが見えてきます。

 イングランド・プレミアリーグで、ある選手(デイヴィド・ルイス)が連携ミスをして失点したシーンを例に挙げましょう。

【英語の実況】
“It’s just a routine clear up job… David Luiz completely switching off.”

「これは本来、日常的な作業(Simple Routine)だった」、
「彼は集中力が切れていた(switching off)」と、英語の実況は、なぜミスが起きたのか、技術的にどうだったのかを、客観的・分析的に伝えます。他にもいろいろあるのですが、英語実況はスタジアムの上空から見下ろす「鳥の視点」で語る傾向があります。

 一方、日本の解説者はこのシーンで何と言ったでしょうか?

【日本語の実況】
「『そこ任せた』というところ…彼はもうそのつもりでいたんでしょうね」

「集中が切れていた」と突き放すのではなく、「キーパーに任せるつもりだったんだろう」と、選手の心の内側に入り込んで代弁しています。

 これは他の試合でも同様の傾向があります。英語実況者が「なぜ外した? 単純な練習問題だろ」と技術を指摘する場面でも、日本は「相手キーパーの迫力が凄かったですね」と状況に共感し、選手をかばうようなコメントをしたそうです。

 英語話者はフィールド全体を「上」から客観的に観察し、日本語話者はフィールドの中に降りて、選手と同じ目線で「場」の空気を共有する。同じ試合を見ているはずなのに、言語によって脳内のカメラ位置(視点)がこれほどまでに違ってしまうのです。

脳のバグを体感する言語相対論・体操10連発

 ここで紹介した「青信号」「お湯」「サッカー」以外にも、言語と現実のズレを感じる瞬間はたくさんあります。「責任(responsibility)の本当の意味は?」、「上司に『お前』と言うと何が起きる?」など、認識編と社会編、合計10個の事例で脳みそをストレッチする動画を作りました。記事の続きを読み進める前に、ぜひこの「違和感」を体感してみてください。

青信号は「青」なのか。言語と認識のズレを体感する言語相対論・体操10連発
青山俊之のゆるす責任論|ことばと空気ゼミ、2026/02/11)

インテリすら騙される? ゾンビのように蘇る「強い仮説」

 ここからはさらに発展編です。「言語が思考を決定する」という強い仮説は、特に1990年代からさまざまな実証実験が行われ、「そこまでとは言えない」と学術的には否定的な見解が主流です。しかし、この説はあまりにもストーリーとして魅力的なためでしょうか、形を変えて何度も蘇ってきます。

 その代表例が、10年ほど前に話題になった行動経済学者キース・チェンによる「未来形と貯蓄」の説です。

キース・チェン:言語が貯蓄能力に与える影響TED、2013/02/20)

「未来形がないとお金持ちになる」説

 チェンはTEDトークなどで、次のように主張しました。

中国語のように未来時制を持たない(文法的に未来と現在を区別しない)言語の話者は、未来を「現在の延長」として身近に感じるため、貯蓄率が高く、健康にも気を使う。一方、英語のように未来形(willなど)を持つ言語の話者は、未来を遠いものと感じてしまい、貯蓄が苦手になる。

 一見、データに基づいた説得力のある話に聞こえます。しかし、言語学者ジョン・マクウォーターらの検証により、この説には致命的な欠陥があることが指摘されています。

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批判①:ロシア語の分類ミス

 マクウォーターは著書『The Language Hoax』の中で、チェンがロシア語を「未来形あり(Strong FTR)」に分類したこと自体が言語学的に誤りであると指摘しています。

 ロシア語には、英語の will やフランス語の未来形活用に相当するような、純粋な「未来マーカー」は存在しません。ロシア語学習者が苦労するように、ロシア語ではアスペクト(完了体・不完了体)の変化などで未来を表現しますが、それはチェンの定義で言えば「未来形なし(Weak FTR)」に分類されるべき特徴です。

批判②:スラブ語派のデータ崩壊

 さらに決定的なのが、ロシア語と同じような文法構造を持つ「スラブ語派」の国々のデータです。以下のグラフは、チェンの論文にある「言語ごとの貯蓄率」のデータ(Figure 4.1)です。

McWhorter(2014: 86)

このグラフの矛盾点を見てみましょう。

  • ロシア語、チェコ語、ポーランド語は、文法構造(未来表現の仕組み)がよく似ています。
  • チェコ(Czech Republic):左側にあるので「高貯蓄」。
  • ポーランド(Poland):右側にあるので「低貯蓄」。
  • スロバキア(Slovak Republic):真ん中あたり。

 もし「文法が貯蓄行動を決定する」という説が正しいなら、同じ文法構造を持つこれらの国々は、グラフ上で固まっている(クラスター化している)はずです。しかし実際は、左端から右端まで無作為に散らばっています

 このデータが示しているのは、「貯蓄率を決めているのは言語(文法)ではなく、その国の文化や経済状況である」という、ごく当たり前の事実です。

言語イデオロギー論の意義と倫理

 なぜ、現代のインテリであるキース・チェンは言語相対論の「強い仮説」を甦らしてしまったのでしょうか? その「あやしい説」を私たちも信じたくなってしまうのだとしたら、それはなぜなのでしょうか?

 それは、私たちが無意識に使っている複雑な言語構造よりも、意識しやすい「単語」や「文法ラベル」に注目し、それを世界観の理由として後付けしたがる傾向があるからです。これを言語人類学では「言語イデオロギー」と呼ぶことがあります。

言語イデオロギーとは

 言語イデオロギーとは、言語構造そのものが物理的に脳の配線を変える(強い仮説)のではなく、「人々がことばに抱く無/意識」こそが、言語構造・言語使用、その変容、そして現実の認識を構築しているという視点です。

 冒頭の「空(Empty)のドラム缶」の事例を思い出してください。あれは、「Emptyという単語の響き」が脳神経を変えたわけではありません。作業員たちが「Emptyということばは『安全』を意味するはずだ」というイデオロギー(思い込み)を強く信じていたからこそ、物理的な危険性が見えなくなってしまったのです。

「ズレ」に自覚的になること

「日本語は論理的ではない」「英語は論理的だ」

 こうした言説もまた、事実というよりは一つの「言語イデオロギー」です。私たちが学ぶべきは、単に「どの言語が優れているか」という比較ではありません。

 自分が「なぜこのことば遣いを失礼だと感じるのか?」「なぜ英語が話せないと恥ずかしいと思うのか?」といった感情の背後にある、社会的な「空気」「偏見(イデオロギー)」の存在に気づくこと。

 この「ズレ」に自覚的になることこそが、ことばに使われるのではなく、ことばという道具を使いこなすための第一歩なのです。

結論──AIとことばの関係を考える

「言語が違えば世界も変わる」

 このことばは、半分は嘘で、半分は本当です。言語の文法が勝手に世界を変えることはありません。しかし、私たちがことばに投影する「思い込み」は、確かに私たちの世界の見え方を変えています。

 最近話題の「AIに人格を感じる」という現象も、実はこの言語イデオロギーの問題そのものです。

 流暢なことばを話し、ましてや私たちを「気遣ってくれる」存在には、「知性」や「心」が宿っているはずだ、少なくとも大切な存在だと感じる──そんな私たちが抱く「幻覚」もまた、AIという鏡に映し出されているのかもしれません。

 このあたりに興味を持った方は、ぜひ動画をチェックしてみてください。AIと言語イデオロギーの関係について、さらに詳しく語っています。

言語が違えば世界も変わる?(は大嘘) 言語相対論の本当の射程
青山俊之のゆるす責任論|ことばと空気ゼミ、2026/01/07)