前回の記事「プロジェクト化のすすめ」で、楔を打って作品を世に出すことの大切さを書きました。では、出したら終わりか? いやいや、最後にして最大のフェーズ「引き受ける」が待っています。
今回は、これまでの「読む・書く・つくる」の全プロセスを根底で支え、社会実装へと繋ぐためのスタンス、「あそびと責任のバランス」についてゆるっと考えてみたいと思います。
机上の空論と、ただの思いつきを越えて
ぼくはビジネスの現場でマーケティングにも関わりますが、まじめに戦略だけを練っているだけでは、実行に移せなかったり、実装まで持っていく力が足りなかったりするなと思っています。
モノやコトを届ける時に一番大事なのは、対象となる人々がどんな生活を送り、どんな感情を抱いているかにどれだけ肉薄できるか。そのためには、自分自身が「いち生活者」として無駄な寄り道をしたり、どっぷり消費者になる経験(=あそび・余白)を積むのはとてもとても大事なことです。
一方で、感覚や思いつきの「あそび」だけでも人は動かせません(というかよい仕事になりません)。しっかりとした戦略あってこその戦術です。これ、実は研究や批評も遠いようで意外に近いロジックな気がしています。理論や哲学という確かな背骨があってこそ、具体的な事象の分析や考察が深く刺さるんです。この両輪が大事で、どっちかに偏ってもあまりいい成果は生まれません。
世界の複雑性に耳を澄ます──偶然と必然の交叉について
この「あそびと責任」のバランス、その根っこにあるものは何なのか。それは、世界の複雑性に対する感受性と責任なんだと思います。
世界って、偶然と必然が複雑に交叉していますよね。誰かにとっての「たまたま(偶然)」は、別の誰かにとっての「運命(必然)」だったりする。一度起きてしまった出来事は、その人や社会にとって避けられない必然として歴史に刻まれますが、それでも世界は常に新しい偶然に向かって開かれています。
ぼくたちが何かを読み、書き、つくり、世に放つということは、この「偶然と必然の交叉点」に自分の身を投げ出し、そこから生まれる波紋を読み解き、「引き受ける」ということでもあります。これは言うは易く行うは難しのとても象徴的な例だと思いますが、ここから逃げずに考え切れるかはビジネスでも研究でも大変重要なことだとぼくは考えています。
あそび:責任 = 50:50
ガチガチの責任感(まじめな戦略・理論)だけでも息が詰まるし、テキトーな余白(ふまじめな感覚・経験)だけでも世界には響かない。あそびと責任の割合を50:50で保ちながら 、出来事の偶然性と必然性に耳を澄ます。
読む、書く、つくる、引き受ける。この4つのサイクルを回すのがぼくの考える「生み出す力」です。これからも世界を斜め下から眺めつつ、まっすぐ進んでいこうと思います。お酒を片手にラーメンも啜りながら・・・笑